音楽を仕事にしたい!夢につながるたくさんの好奇心

メンバー紹介

知的好奇心の強さや想像力の豊かさ、芸術的感受性は“Openness(開放性)”といって、人の個性を決める重要な因子のひとつなのだという。

現在、フルタイムで広報事務の仕事をしながら、スバキリ一味でリターン画像制作を請け負うさりーさんは、この“Openness”がとても高い人だと思う。「昔からいろいろなことに興味があって」と本人も言うように興味やスキルの引き出しがとにかくたくさんある

現在は、フルタイムの仕事との兼ね合いでリターン画像のみを制作しているが、スバキリ一味への加入当初、クライアントにインタビューし、ライティングし、サムネイルまで制作という時期があった。

さらにさりーさんには、もうひとつ「音楽」という太い軸があるというから驚きだ。

音楽漬けの毎日

 「5歳から20歳までは、毎日ピアノを弾いていました。中学からは合唱部の先生に誘われて、声楽も習いに行っていました」―スバキリ一味では見たことのない、さりーさんの一面だ。合唱をやっていた母親の影響で音楽が好きになり、小さいころはピアノの先生になるのが夢だったのだという。

たまたま近所にあったという理由で通っていたピアノ教室が、音大の教授が教える教室で、「その先生に教わっているということは、音大を受けるということ」という暗黙の了解があるような環境だった。しかし、さりーさんは音楽の道へは進まなかった。

「当時の堅いクラシック音楽のなかにいて、音楽のジャンルって一体誰が作ったんだろう、という疑問も出てきて。自分に才能はないことはわかっていて、だんだん苦しくなっていました。ピアノを人前で弾くのは好きではないし、歌も目立つソプラノではなくて、アルトでハモることが好きだったんです」

「音楽が好き」という感情と、「音楽の世界で自分自身の能力を認められたい」という感情は、決してイコールではない。さりーさんは、音楽に触れていられればそれで満足だった。音大には進まなかったが、ギター・ウクレレ・アイリッシュハープ…その後さまざまな楽器に触れてきた。

就職を意識して英文科の短大に進学。プロジェクトXに取材されたこともある仕事人間の父親は、「女性はサラリーマンの奥さんになったときのために、会社勤めをして男の働く姿をちゃんと見ておけ」と、さりーさんの就職先を見つけてきた。そういう時代だった。

OLからパーティーコンパニオン、そしてデザインの仕事へ

就職した会社の営業事務の仕事は、のんびりしたものだった。毎年海外旅行へ行き、たくさんの習い事もした。油絵、パステル画、ガラス工芸…学生時代は音楽漬けの毎日だったが、美術にも興味があったのだ。4年間のOL時代は平穏で好きなことができたが、次第にその環境にも飽き、さりーさんは父親にも相談せず、会社を辞めた。ささやかな反抗だった。

全く違うことに挑戦したくなって選んだのは、一流ホテルの専属パーティーコンパニオン。ディナーショーや宴会などに、きれいなドレスを着て接客をする仕事だった。

ロイヤルホテル 思い出のメインラウンジ

「若いときしかできない仕事だし、ホテルという別世界でおもてなしするのが面白かった」のだという。その間に結婚、妊娠。

そこから4年間は専業主婦としてふたりの子どもを育てる。夫がたびたび仕事を辞めてから転職先を探すことがあったため、「これでは収入が不安定で子どもにお稽古事もさせてあげられない」と、自分も手に職をつけて働こうと考えた

当時まだ使える人が少なかったillustratorを扱えるようになれば家で仕事ができるかもしれないと考え、さりーさんは、平日は子どもを預けて事務のパートに出て、土曜日にグラフィック系のスクールに通うというハードな生活を選んだ。スクールでの学びには50万円ほどの授業料が必要だった。

金銭的に厳しいときに、未来の自分に投資をできるか―それは、人生において大きな分かれ目だと思う。目の前の生活のために働くか、自分らしく働けるように長期的な目で見て考えるか…世の中には、前者の人のほうが多いのかもしれない。さりーさんは、きちんと自分にお金を使える人だった。

Illustratorのスキルを身に着け、実務的に使えるようになるために、制作会社でillustratorを使うアルバイトを開始。第三子の妊娠中にしばらく安静にする必要に迫られ、受けていた仕事を自宅でできるようにしてもらった。今から20年も前のこと…FAXで仕事を受け、家で制作する、在宅ワーカーのはしりとも言える働き方であった。

シングルマザーになって

末っ子が小学生になって子育ても落ち着いてきた時期と、在宅で仕事を受けていた会社の経営が傾いたのが重なり、派遣社員として別のフルタイムの事務仕事を始めた。この時期に、これまでのさまざまな我慢が積み重なり、離婚。

実家に帰らず、姓も変えず、なるべく同じ環境で家族4人で生活していくことを決めた。

「離婚した年に、実は留学生の受け入れをしているんですよ」と聞かせてくれた話に、私はさりーさんの強さを感じた。

「私自身が英文科出身なのに英語を話せないというコンプレックスがあって。子どもたちにはこれからの時代のことを思って小さい頃から英語を習わせていました。積み立てをして、3人とも中学校のときにホームステイをさせました」―さりーさんはたとえ大変なときであっても、子どもたちに対しても「未来への投資」を迷わない

「そうしたら、真ん中の長男はホームステイをきっかけに英語が得意になって。離婚した年、息子が高校生のときに逆に留学生を受け入れませんかと打診され…離婚して初めての夏休みで、私も仕事で家にいないし無理だと思ったのですが、これは息子に来た話。私が断ってはいけないと思って」受け入れを決めた。

現在長男は、英語のスキルを活かせるようにと海外との取引がある会社で営業をし、世界のあちこちを飛び回る予定だという。

好きを発信する

その後さりーさんは、派遣社員として何度か職場を変えながら、3人の子どもを育ててきた。ある会社との契約が終了したタイミングとコロナが重なり、また末っ子が大学受験に備える一年になるため、しばらく家にいようと考えた。

支給された失業保険を元にいろいろ勉強しようと、クラウドワークス主催のライターゼミに参加。書くのは元々好きだったため、仕事のひとつにできたらと、発足したばかりの時期に参加した。

ここで学んだライティングやサムネイル制作のスキルが、スバキリ一味での仕事へとつながり、「手に職を」と学んだillustratorのスキルも再び仕事として活かせるようになった。

そしてもうひとつ、このライターゼミへの参加が、きっかけとなったことがあった。いちばんの趣味である音楽についてnoteに綴りはじめたことだ。これが、さりーさんの「好きを発信する」のはじまりだった

すると、藤井風さんについての記事がバズり、3日間で閲覧1万PV、note公式のTwitterでも紹介されたのだ。テレビで初めて名前が出ることを知り、今ほど有名になる前から好きで聞き続けていた藤井風さんの魅力を大急ぎで書き上げて、放送前にアップしたものだった。

https://note.com/embed/notes/nbf2bc7ad11bb

このことは、さりーさんの意識を大きく変えた。

自分がいいと思うものを外に向かって発信したら、同じ気持ちの人がたくさんいるということが分かって、驚いたしすごく嬉しかった」のだという。

例えばホイットニー・ヒューストンやボン・ジョヴィの初来日ライブはひとりで行った。耳はいい自信があるので、本物は分かる。でも、周りに同じ趣味の人もいないから、ひとりでライブに行っては感動し、その後どんどん人気が出てくるのを眺めては、「やっぱり本物だったのだ」と感じる…そんなことを繰り返していた。

しかし、今は「発信」ができる。例えばピアニストの角野隼斗(かてぃん)さんのコンサートに行けば、その感動をnoteを通じてたくさんの人と分かち合うことができるのだ。

https://note.com/embed/notes/n6c61de820a2d

夢に向かって

さりーさんは今、音楽にも新しい時代がやってきて、どんどんジャンルの壁がなくなっていくのを見るのが楽しみで仕方ないという。

自分自身が、型の決まったクラシックの世界に少し窮屈さを感じたという経験を持つため、そこを鮮やかに飛び越えていく人のすごさをより感じるのだろう。さりーさんが内面に持つ“Openness”が反応し、喜びに震えているのだ。

そんなさりーさんの今の夢は「音楽関係の仕事をすること」。才能のある人のそばで、いい音に関わるお仕事ができたら最高!なのだそうだ。

宮川彬良さんとかてぃんさんのコンサートにて

「自分も楽器を触ってきたということ」「ライティング」「デザイン」「接客」「事務能力」…これまでのさりーさんの人生に、「才能ある音楽人のサポート」につながるヒントはきっとある

そして、そんな未来のために「投資」をすることを、おそらくさりーさんはいとわない。投資をできる人というのは、自分が思い描く世界にむけて、準備をできる人ということだ

「一応ね、ビジョンだけは置いておこうと思います。夢は大きく!」そう語るさりーさんは、とてつもなくかっこいい。さりーさんのもつさまざまな興味と経験がこれからどのように統合し、夢へと繋がっていくのか楽しみだ。

取材・執筆―石原智子