今回より、<対談!スバキリ一味>の新しい企画がスタートします。
題して「聞かせて!プロジェクトオーナーさん!」
これまでスバキリ一味では、900件以上のクラウドファンディングをプロデュースしてきました。
スバキリ一味では、ひとつのプロジェクトに複数のメンバーが関わり、全員で目標金額の達成を目指して動きます。そのなかでのライターの役割は、プロジェクトオーナーさんのお話を直接じっくりと伺い、文章へと仕上げていくこと。そのため、終了したプロジェクトであっても、「その後、どうなったかな……?」と非常に気になります。
この企画では、そんなスバキリ一味のライターたちが持ち回りで、今まで担当したなかで特に印象的だったプロジェクトオーナーさんにオファー。プロジェクト実施中や、その後の話を聞かせていただき、クラウドファンディングの実態を深掘りします。
第1回目のゲストは、映画監督の田中大志さんです。
田中さんが、場面緘黙症(家庭などの安心できる場所ではふつうに話せるが、学校や職場などの特定の場所や状況において話せなくなってしまう症状)の青年を主人公とした映画『そのこえ』の制作のために実施されたクラウドファンディングが、こちらのプロジェクト。
ライティング担当は石原でした。
クラウドファンディング実施から約2年が過ぎた田中さんに、当時のこと、その後のこと、現在のことをお伺いしました。
クラウドファンディングしかなかった?
おひさしぶりです!急なお願いにもかかわらずありがとうございます。
ご無沙汰しています!
今回、この対談の企画が決まったとき、すぐに田中さんの顔が浮かびました。というのは、私自身、リターンとして完成した『そのこえ』をオンラインで鑑賞、制作日誌も拝見しまして。
支援者の一人として、田中さんがCAMPFIREのページで、プロジェクト終了後も継続的に活動報告をしてらっしゃるのを見て、ぜひその後の話をお伺いしたくなったというわけです!
ありがとうございます!
まずはクラウドファンディングの実施までのことを振り返らせてください。今回、初めての挑戦でしたが、クラウドファンディングという手段のことは以前からご存じだったのですか?
存在としては知っていたのですが、自分がやるとは思っていなかったですね。
映画を作りたいという気持ちが最初にあって、その資金を実際どうやって集めればいいのだろうと考えたときに、もうクラファンしかない、という感じでした。留学先から帰国後間もない僕には、スポンサーになってくれるような人もいなかったので。
スバキリ一味は、取材にも同席された、『そのこえ』プロデューサーの芹井さんからのご紹介ですか?
芹井さんの知り合いの方が、一度スバキリ一味にお世話になられていて、その方から僕と芹井さんに小西さんを紹介してもらいました。
なるほど。映画とクラウドファンディングは相性がいいですよね。
私もこのプロジェクトで実感したのですが、応援する方からしても、制作の前から作品について知ることができて、できあがっていく様子を追いかけられるってすごく面白いですよね。それで完成作品を観るときはもうすでに思い入れが強くて、その後映画祭などで受賞されると、応援しているこちらまで嬉しくなりました!
確かに、映画ってめちゃくちゃ長い時間をかけて、企画から始めて、脚本、キャスト集め、撮影、編集と続くけれど、観客から見えるのは完成した作品だけですからね。
作品ができあがってからも、映画祭に出したとか、上映会をするとか、クラファンのページでメールを一斉送信できたので、前後の自分の動きを伝えやすかったですね。
そういうところが、ファンづくりにはとてもいいですよね!
クラウドファンディングをやってみて
『そのこえ』のプロジェクトは、開始後3日目で目標金額を達成されましたけど、どんな事前準備をされていましたか?開始前に、友人や知り合いに連絡しまくりましたね。今度こういう映画を作りたくて、資金集めにクラウドファンディングをするから、ぜひ応援していただけませんか?と、一人ひとりに電話やDMで伝えていきました。
何通くらい送られたんですか?
全部合わせたら100人くらいでしょうか。
事前告知で心無い言葉をもらってしまって、心折れてしまうプロジェクトオーナーさんもいらっしゃると聞きますが、田中さんはそんなことはなかったですか?
もちろん、既読もつかなかったり、ついても返信がなかったりという方は何人もいました。でもそれ以上に、応援してくれる人たちの温かい言葉や応援があったので、僕は事前の活動で逆に燃えましたね。絶対にこの映画を作りたい!!と思うようになった時間でした。
このプロジェクトで特徴的だと思ったのは、Twitterでプロジェクトのリンクを投稿したら、映画のテーマである場面緘黙症の当事者や関係者の方が、何人もリツイートされていて。
刺さる人にはものすごく刺さって、「観てみたい!」と思わせる題材だったのだと感じました。
上映会にも、当事者や、昔場面緘黙だったという方が何人も来てくださって、一人ひとりいろんな受け止め方をしていただいたので、それはすごく嬉しかったですね。この映画を作ってよかったなと思えました。
クラウドファンディングでは、目標金額の倍以上の214万円を集められましたが、実際に映画製作はその金額で賄えたのでしょうか。
結局300万円近くはかかりました。差額は自分のお金や現金で応援してくださる方がいたので、なんとかかんとかやり切れたって感じですね。
制作日誌を拝読すると、撮影を終えた後の編集が、とても大変だったのですね……。
人によってですが、僕は全部自分でやったので、他のフリーランスの仕事と並行しながら映画を編集していくという作業が長くかかってしまいました。
全部完成して、最初の上映会でたくさんの方に観てもらったときの気持ちで、いちばん印象に残っているのはどういうものでしたか?
そうですね……やっぱり最初はすごく怖かったというか、編集して自分のなかでは納得して世に出そうと思えたのですが、観た人たちに受け入れてもらえるのだろうかという不安はやっぱりずっとありましたね。
2022年5月に、映画の舞台である生駒で最初の上映会をしたんですけど、映画が終わった後の皆さんの反応は、本当に嬉しくて……感動っていう一言では表せないくらいでした。
場面緘黙の当事者の方が、「感動、しました」とゆっくりと伝えてくださって……それがいちばん嬉しかったかもしれませんね。
現在も、日本全国で『そのこえ』上映会をして回ってらっしゃるのですね?
そうですね。作って1年くらい経つので、僕としてはもう上映会はいいかなとも思っていたのですが、この映画の情報を聞きつけて、この地域でも上映してほしい、という声をかけてもらうと、そういう方が少しでもいらっしゃるならやりたいなとまた思いはじめまして。ちょこちょこ上映会をして回ろうかなと思っています。
どういう方からのお問合せが多いですか?
やっぱり当事者……場面緘黙に関係のある方が多いです。あとは僕の知り合いとか。
障がいを描くって、とてもセンシティブな面もあると思いますが、当事者の方たちにとって救いになる映画のように私は感じました。救いになるかはわかりませんが、何かしらの共感や、一歩を踏み出す力になればいいなと思っています。
世界の映画祭で受賞や入選もなさいましたよね!作品が受賞するというのは、観た方から感想をもらうのとはまた違う喜びがあるのでしょうか?
そうですね、みんなで作った作品が、日本だけじゃなくて世界でも見てもらえて、そこである意味認められたというのは僕自身も本当に嬉しいですし、一緒に作った仲間たちとその喜びを共有できるのがやっぱり嬉しいですね。
映画を学ばれた、イスラエルの映画祭にも招待されてましたよね。
そちらは、学生時代に撮った短編ドキュメンタリー映画『ガリラヤの漁師』を上映するというので呼んでもらったんですけど……当時は学生だったので、ちゃんと映画を作っている人として参加できたのは、嬉しかったですね。
そっか……『そのこえ』を制作されたことで、田中さんの肩書が本当に「映画監督」になったってことですね。言い方ちょっとおかしいですけれど(笑)。そうですね……少しは映画監督と名乗ってもいいのかなという感覚になりましたね。自分の中ではまだまだ映画監督としてのスタートを切れたわけではないと思っているのですが、少しはその状態に近づいているという感覚がありました。
え!?作品を作り上げられ、受賞もされて、周りから見たら「映画監督」でしかないと思うのですが……田中さんが何の迷いもなく「僕は映画監督です」と名乗れるようになるのは、どういう状態になったときなのですか?
やっぱり映画で食べることができるようになったらですかね。今はまだ生計を立てているメインは映画じゃないので。 だから、次の映画が僕にとっては大きな勝負です。
映画を作るまでとこれから
制作日誌を拝見して、田中さんの行動力に驚かされました!
イスラエルから帰国して、何のツテもないのに、いきなり河瀨直美監督の事務所にアポなしで「働きながら学びたい」って訪問されたというのはすごい!
ほとんど話したこともない、なら国際映画祭の実行委員長の芹井さんをたまたま見かけて話しかけ、これから撮りたい映画のプロデューサーになってもらうお願いまでされたというのもびっくりでした!
そうですね……本当に何もコネクションがないところからだったので。芹井さんはなら国際映画祭を全部動かしているような人だったので最初は結構緊張しましたね。話すとめちゃめちゃいい人で、全然緊張もしないような方ですけど。
いつか、河瀨監督とも舞台上で並ぶような存在になりたい、と大きな夢を書かれていたのが印象的でした。
映画を作り続けられる人になりたいな、というのはあって、最初は下っ端でもいいから河瀨さんの元で働きたいと思っていたんですけれど、そのままだったら、何も変わらないしもう遅いなと感じ、自分で行動して映画を作るのが近道かなと思ったんです。
だから、自分でも河瀨さんの「組画(くみえ)」のようなプロダクションを立ち上げて、自立して映画を作れる人になれたらいいなと思っています。
いいですねぇ!話を聞いているだけで元気になります(笑)。
で、次回作の構想をお伺いしたいです。まず……移住されたんですね?はい、今年の2月から、大阪から京都府の南丹市という結構田舎の方に移住しました。大阪と二拠点生活という感じですが。
また、どうして移住をされたんですか?
『そのこえ』は、奈良県の生駒市で撮影したのですが、市民の方もたくさん出演してくださり、一緒にやってきたのがすごく楽しかったしいい経験になったんです。
なので、また街の人たちと一緒に映画づくりをしたいと思いまして。次は長編映画を作りたいのですが、じゃあどの場所でやろうか?といろいろ探して、直感でここがいいな!と思ったのが南丹市だったんです。
その長編映画のなんとなくのイメージがあって、その土地を選ばれたのですか?
いや、なんとなく、ほんとなんとなく、です。住みはじめたらいろいろ刺激も受けて作りたい方向性は決まっていくだろうから、とりあえず住んでみようと思って(笑)。
現状はまだまだ下準備の段階で、まずは地域の人たちと仲良くしようというところです。
このあいだ、はじめて田植えを地域の人たちと一緒にする機会があったんですよ。米作りを、次の映画に何らかのかたちで生かしたいなと思っていたんです。でも僕自身、農業について何も知らないので、まず土に触れて作ってみるところからはじめたいなと。地域の人たちと関係ができていくと、また新しい映画への道が開けていくのかなと思っています。
田中さんのベースって、やっぱりドキュメンタリーというか、そこに入り込んで、湧き出てくる物語を紡ぐスタイルなんですね。
それが自分も楽しいし、そこで関わった人も楽しくなってもらえたら嬉しいなと思っているので。でも、やっぱり村社会なので、よそ者を受け入れるということへの難しさもあると思います。それも面白いと思うんですよね。自分のなかで移住や移民の問題意識もあったので、そこを自分で経験する状況が、映画につながっていくのかなと。
『そのこえ』の場面緘黙も、イスラエルで田中さん自身が似た状況を経験されたとおっしゃっていましたよね。ご自分の経験とどこか重なるものを撮りたいという思いを持たれているのでしょうか。
自分が感じていないことを映画で撮るってことは、たぶん僕にはできないので、その場所で生きたり、そういうシチュエーションになってみたりして自分が感じたことを映画に入れていきたいという思いがあります。
『そのこえ』を撮る前に荷揚げ屋(建設現場で重量物の搬出入を請け負う仕事)のバイトをされていたというエピソードもとても興味深くて。これやってみたら、作品につながる何かがありそう、という感覚があって、その仕事をやりはじめた面もあるんですか?基本的に新しいことを始めるにあたっては、やっぱりこの経験とかそこで感じたことが映画に活かせるんじゃないかというベースはありますね。だから今も実はバイトとして、週2日くらい配送の仕事をやっているんです。
へぇ~!配送の仕事!
実際にこの町を走っていろんな風景を見ながら、いろんな民家を訪ねていくと、そこで知り合う人のことも物語になるなぁと思ってて。
おぉ!賢い!村を知るという意味で配送業は最高ですね!仕事も生活も全部映画につながってくるんですね。
制作日誌や今日のお話から、田中さんは映画としてアウトプットすることを目がけて、すべてを刺激として吸収されているし、自分で集めに行かれているんだと納得しました。
そうですね。だから映画はそういう意味では最強だなと思ってますね。
すごい…今日は映画監督の頭の中を少し覗かせていただいた気がします。
実は私、このプロジェクトの文章のライティングをするときに、脚本も書かれる映画監督さんの言葉を文字にするということで、結構プレッシャーを感じていたんです(笑)。自分の言葉を持ってらっしゃる方に私の文章は受け入れてもらえるのだろうか、って。
いや、僕は脚本をずっと書いてきた者ではないので、まだまだこれからです。作ってくださったページを最初に見たとき、うまいなぁ!というかすごいなぁ!こんなにきれいにまとめてくださって嬉しい!と思いましたよ。
そんな風に言っていただけて感激です。でも私はお話くださったことをまとめるしかできないので、田中さんのように一から作り出す人はどうしてそんなことができるのだろうと不思議に思っていたのですが、今日は少しその謎がとけたような気がします。ありがとうございました!
次回作の完成はいつ頃のご予定なんですか?2025年の5月くらいには完成したいと思っています。だから2024年の秋くらいに撮影したいですね。
脚本もまたご自分で書かれるんですよね?長編となるとそれも大変ですね。
そうですね、だからこの1年は、その物語をつくるための1年かなと思っています。
新作、楽しみに待っています!
最後に、これからクラウドファンディングをする人に向けて、何かメッセージをいただけますか?
挑戦したいことが、ちゃんとページになって視覚化されると、応援する側もしやすくなるので、それってクラファンのすごくいいところだと思います。
それに、これだけ告知して応援してもらって、お金も出してもらってからこそ、絶対に仕上げないといけないという自分のなかの焦りにもなって、実際ゴールまで一緒に行けたのだと思っています。そういう意味で、クラウドファンディングをするのもいいのかなと思います!
大変貴重なお話をありがとうございました!
ありがとうございました!
***********************
クラウドファンディングで資金を調達し、制作。世界の映画祭でも受賞・入選をした田中監督の『そのこえ』は、vimeoでレンタルできます。
『そのこえ』の上映会をしたい!という方はいらっしゃいませんか?
ご要望があれば、田中監督がフィルムを持って、全国どこへでも駆けつけてくださるそうです!
対談を終えて
田中さんとの対談を終えて、ある実業家が近著で書いていた計算式を思い出しました。
ファンを作る上で大切なのは「応援シロ」を作ること。
【応援シロ】=【目的地】-【現在地】西野亮廣著 『夢と金』より
田中さんが実施されたクラウドファンディングでは、<映画『そのこえ』を制作し、多くの人に届けたい>という【目的地】と、<アツい想いと映画の構想はあるけどお金がない>、という【現在地】の差が明確。
数あるプロジェクトのなかでも、とても分かりやすく、つまりはファンが作られやすい図式があると感じました。
さらに田中さんには、<ずっと映画を撮り続けていたくて、そのためには河瀨直美監督と肩を並べるような映画監督になりたい>という大きな【目的地】があり、<帰国後1作目を公開した>という【現在地】があるわけだから、ここにもまた応援シロが生まれます。
そして、ご自身で継続的に活動報告をされていること、支援者や関係者に感謝の言葉を惜しみなく伝えられる姿勢などから、ますます応援したくなるのですね。
田中さんは「応援したくなる人」のお手本のような方なのだと、今回お話をお伺いして改めて感じました。
石原個人的には、『そのこえ』を担当したのちに、プロデューサーの芹井さんが実行委員長を務められる『なら国際映画祭』のプロジェクトも担当したことも含め、
https://camp-fire.jp/projects/view/546890
映画を作る人、支える方たち視点も知ることができたのは、とても貴重でわくわくする体験でした。
スバキリ一味の仕事を通して、普通に暮らしていたのでは出会えないような方たちのお話を聞けるのはとても楽しいし、今回のように、自分が書いた文章が「想いが視覚化されているから応援してもらいやすくなった」などと表現してもらうと、あぁ本当にこの仕事をやっていてよかったなと感じます。
スバキリ一味の「中の人たち」は、プロジェクトオーナーさんたちの挑戦を応援することに誇りとやりがいを感じながら、今日もプロジェクト作成に励んでいます。
取材・執筆―石原智子