「好き」は仕事にできるのか―昔から幾度となく繰り返されている議論のテーマだが、小川さんの生き方は、その種の悩みを抱える人には、大変よいお手本になるのではないだろうか。
<お魚デザイン*おととごと。>という屋号で活動する、アーティストでありデザイナーでもある小川ゆか子さんは、スバキリ一味立ち上げ当初からのサムネイル担当デザイナーだ。メンバーが増えてからは、サムネイルチームのリーダーとして、新しいメンバーの育成や、高いクオリティのサムネイルを生み出すための仕組みの構築も行ってきた。
スバキリ一味の案件の他にも、様々なデザインの仕事をこなす傍ら、「うみハマ(深い海にハマる)」と名付けた団体の代表として活動。大好きな深海生物をモチーフにしたグッズの制作・販売・イベント開催などを、同じく深海・深海生物が好きなクリエイターたちと共に手掛ける。
「今やっている活動のひとつ欠けただけでも、私の中でバランスが崩れてしまうと思う」と本人が語るように、小川さんはイラスト・デザインを軸にして絶妙なバランスで日々仕事している。
「天職」を経て自分発の「何か」を求めて
小さいころから絵を描くことが大好きだった小川さんは、短大でデザインを学び、卒業後就職した商社で、1人きりの魚箱のラベルデザインの部署に配属された。
デザインのみならず、受注や伝票管理などの事務仕事、さらには売り込みまで、すべてをひとりでこなすという業務を「天職だ」と思いながら長らく続けていたという。和歌山出身で、父は釣り好き。小さい頃から魚に親しんできたし、一人で自由に動き回れる環境が心地よかった。
その会社に9年勤めたのち独立。フリーランスとしてデザインの仕事を受けるなかで、「依頼される仕事だけでなく、自分発で何か活動をしていきたい」という想いを持つようなった。その方向性を模索するなかで、友人のアドバイスから、自分の「魚が好き」という気持ちに改めて気づいたのだそう。
「仕事ではずっと魚ばかり描いていたし、早川いくをさんの『へんないきもの』を読んで以来、すっかり深海生物にハマっていたんです」。
そこで、誘われたハンドメイドイベントで「お魚グッズ」を制作・販売したところ、予想以上の売れ行きで手ごたえを感じた。「好き」を「仕事」に。<お魚デザイン*おととごと。>の誕生のときであった。
デザイナー・イラストレーターとして活動している時点で一般的には「好きを仕事にした」と言えるだろうが、小川さんはさらに「自分発の何か」を追い求めて、お魚デザインの活動にたどりついた。貪欲に「好き」を追求するのにはわけがあった。
HTLV-1キャリアと判明して
小川さんには、自分の生き方を考え直す大きなきっかけがあった。会社員時代、献血に行った際に、自分がHTLV-1のキャリアであると知ったことだ。
HTLV-1とは、ヒトT細胞白血病ウイルスのこと。現在日本ではおよそ110万人の方がこのウイルスに感染していると推測されていて、発症率は高くはないものの、白血病になるリスクは、持っていない人より高いといえる。
この事実を知った小川さんは、いつ自分がどうなるか分からない、その中でどう生きていくかということをリアルに考えるようになったという。
「もし自分が死んだとして…自分の葬式のときにどれくらいの人が来てくれるのだろうか。来てくれるような付き合い方ができているだろうか。自分が本当に大切にしたい人やコトは何だろうか」などと考えて、自分がやりたいことをやろうという気持ちが強くなっていったのだ。
そんな思いを持ってアーティストとしての活動を続けるなかで、出会いが訪れる。
仲間たちとの出会い
<お魚デザイン*おととごと。>としての活動を始めた小川さんは、共通の知人が開催した飲み会で、小西さんと出会う。当時切り絵作家として活動していた小西さんから、次第に切り絵のデザインやチラシデザイン、YouTubeのサムネイルを依頼されるようになった。
そんななか、小西さんがクラウドファンディングプロデュースの仕事を始める際、自分のグッズをリターンとして出す立場で「アーティスト集団スバキリ一味」に参加することとなる。
アーティスト同士のコラボ程度に捉えていたスバキリ一味の活動だったが、当時小西さんが自らデザインしていたサムネイルのクオリティを見かねて、小川さんから「サムネイルを作らせてほしい」と言い出したそう。デザインはデザイナーに、ライティングはライターに…今の分業型スバキリ一味の原型の誕生である。
一方、アーティストとしてのグッズの制作・販売の活動でも仲間を得ることになる。活動が本格化し、おととごととして百貨店のイベントなどでの長期間の出展のチャンスを得たが、どう頑張ってもひとりでやりきることは不可能だという壁にぶちあたった小川さん。
助言もあって、「深海生物を愛でる会」というコミュニティを立ち上げ、メンバーに「一緒にイベントをやろう」と参加者を募ったところ、20人ほどが手を挙げてくれた。運営を一緒にやってくれる人、助けてくれる人なども現れた。そこから念願だった百貨店出店や、水族館での委託販売も経験し、<うみハマ>としての活動も盛んになっていった。
「私はみんなと盛り上がりたいだけ。同じベクトルで楽しんでくれる人がいたらいい。動いてから考える、ノリと勢いだけできたら、いつの間にかここまで来てしまった」と小川さんは表現する。
「自分はリーダーの器ではない」と謙遜するが、一緒に楽しめるリーダーは、計画・指示ばかりのリーダーよりずっといい。メンバーの中で精力的に動く彼女の姿は、「スイミー」を彷彿とさせる。小川さんはきっと、<うみハマ>のメンバーにとっては「黒い目」だ。
仕事のバランス
小川さんは、今「仕事」としてやっていることを、3つに分けて考えている、という。
一つ目は、クライアントの要望に寄り添い、かたちにしていく「デザイン」の仕事。二つ目は、ただひたすら好きなものを好きなように描く、「アーティスト」としての仕事。三つ目は、自分自身の活動を広めていくための「交渉事」。この三角形が今はとてもいい感じでバランスが取れていると感じているそう。
「自分が好きな絵ばかりを描いていても、世間に受け入れられるかどうかという不安は常にあります。だから、デザインの仕事で、私はとことんクライアントの要望に合わせるというのが基本スタンスです。そしてきちんと報酬が担保される仕事としてのデザインを受けることで、自分の活動では思う存分“好き”を描くことができるんです」と小川さんは言う。
依頼される仕事と、自分発の仕事は、熱の持って行き場がずいぶんと違う。小川さんのように、そのことを冷静に認識し、仕事に注ぐ力をうまく配分できたなら…仕事全体の満足度は各段に上がるに違いない。
「<うみハマ>の活動で、作り上げたものを“どこにどうやって受け入れてもらおう”とあれこれ作戦を考えるのは楽しいですね」と、小川さんは仕事の “3つめの軸”である交渉事まで楽しんでやってしまう。
好きなことを細分化し、それぞれが軸を持った車輪として人生が回りだすとき、その進む力は安定して、きっとうんと遠くまで行けるのだろう。「好き」を進む原動力にできる人は強い。小川さんの仕事のスタンスは、私たちに「好き」の力の大切さを教えてくれる。
取材・執筆―石原智子