「遊び心」で自らの道を切り拓く

メンバー紹介

2022年12月にスバキリ一味、また一人新しいメンバーが加わった。

サムネイルを制作する担当するデザイナー田代憲司(たしろけんじ)さんだ。

スバキリ一味との出会いのきっかけは、3年ほど前に知り合った方からの紹介。その方からは、他の仕事も紹介いただくという、田代さんにとってはとても大切な人だ。

「他の皆さんのようなストーリーなんて、本当にないと思いますよ」

これまでの取材でも、幾人かが必ず口にしてきたこの言葉。田代さんもまた、おだやかな性格を物語るような口調で、同じ言葉を口にした。

そして、この言葉を口にしていたメンバーと同じように、田代さんもまた素敵なストーリーが展開されていく。

薬剤師を目指して…いました

スバキリ一味ではサムネイル担当デザイナーとしての田代さん、現在はフリーのデザイナーとして活動している。

・パンフレット
・イラスト
・YouTubeなどの動画サムネイル
・商品パッケージ
・キャラクターづくり

仕事の幅はとても幅が広い。スバキリ一味の仕事は、この合間を縫って月に1、2件というペースだという。

「でも、ここまで多岐にわたってデザインの仕事がもらえるようになったのって、実は比較的最近のことなんです」

フリーになって4年目を迎えた田代さん、2020年あたりまでの最初の2年間は、単発でデザインの仕事を受けながらアルバイトして凌いでいという。

そんな田代さんのデザイナー歴は、デザイン系大学を卒業して、東京にある店舗什器(じゅうき)メーカーで工業系プロダクトデザイン担当者としてから始まる。
いわゆる工業デザイナーだ。

店舗什器とは、コンビニや小売店といったさまざまな店舗内で商品を飾るために置かれているショーケースやディスプレイ棚のことだ。

田代さんが設計・デザインした青果売り場用の店舗ディスプレイ

「この会社で、什器のデザインを考えながら、使い勝手がいい形はどんなものかといった設計などもやっていました」

「まずは3年」

巷(ちまた)にそんな言葉があるように、ひとまず3年間は続けようという思いで会社勤めしていたという。この思いには、両親を少し安心させる、という思いもあったと語る田代さん。
そこには、両親が我が子に託す思いと自分自身がやりたいこととのギャップ、僅かな葛藤というものが少なからずとも存在していたことを物語っている。

この数年後には、見事にこの葛藤を素敵な形として昇華させることになるのだが、この時点では、まだ予兆の影すら見えていない。

「もともとは薬剤師になろうとしていました。両親が、安定した職業についてほしいという望みをよく言っていて。それが薬剤師だったんです」

なぜ薬剤師なのか? というところは、母親が医療関係の仕事をしていたからかな、と語る。

小さいときから両親の口から出ている薬剤師という言葉を耳にし、両親の思いを果たそうとしていたという。

「でも、高校になってから学力がまったく追いつかなくなってしまって……。それで薬剤師は諦めました。
それがちょうど進路を決める時期でもあって、これからどこに行こうかと、学校の進路指導室にあった大学とかのパンフレットを探しているときに、あるデザイン系大学のパンフレットが目に飛び込んできたんです」

抜けるような青色を基調として、いかにも洗練されたデザインを今でも覚えている、というぐらいだ。明らかにそのパンフレットは田代さんの心を掴みとった。

魅了されながら興味深くパンフレットを見ていくと、大学そのものにも惹かれていく。そうして読み進めていくうち、あることに気がついた。

デザイン系大学でありながら、その学校には美術系大学の試験にあるデッサンや色彩感覚を問う「実技試験」が試験要項に含まれていなかったのだ。

「薬剤師目指していたので、そもそも美術系に行く勉強なんてしていません。だから、学科試験だけでいけるというのを見たとき、自分でもデザイン系大学に行けるということに可能性を感じました」

そのパンフレットもまた、まるで田代さんを待ち構えていたようだ。

これをきっかけに、田代さんは薬剤師からデザイン系への進路変更を決心する。

かなりかけ離れた進路変更にも思えるが、田代さんは、実は小さいときから絵を描くことが大好きだった。

「ドラゴンボールの絵を描いていました。漫画も大好きでよく描いていました。
父親が書道を嗜(たしな)んでいたので、A4の紙が家に大量にありまして。それで漫画を描いていました。漫画雑誌のようなものも自作していましたね」

茨城県に2023年春に開業するグランピング施設のキャラクターデザインを担当。
小さい頃から書いていた漫画は、ここにつながっている?

薬剤師を目指していた少年は、一方でグラフィックの世界に憧れを持っていた。そう思うと、この進路の選択は自然の流れでもある。

ただ、大きな課題が残る。

両親の説得だ。

「薬剤師」を願う両親の思いは、我が子には安定した道を歩いてほしい、という願いから。薬剤師は国家資格。相対的に比較して、デザイン系の職業は不安定という印象は拭いきれない。少なくとも両親は必ずそう思うだろう。

こうした局面を迎え、田代さんは工業デザイン学科を選択することを決め、両親の説得にかかる。

「専攻する学科には、近代美術や映像とか、職業としてはイメージしにくいものが多かったんです。その中で、唯一就職のイメージがついたのが工業デザイン学科だったんです」

卒業後の就職も考えて工業デザイン学科へ進むことを説明し、どうにかこうにか両親を説得し、希望する大学へと進学していく。

会社員から独立へ

店舗什器メーカーでは工業デザイナーとして勤めながら、やがて田代さんはもともと興味があったグラフィックデザインをやってみたいと思うようになる。
確かに、もともとは漫画を描くのが好きだったということからすると、工業デザインだけにとどまらず、グラフィックデザインへと惹かれていくことももっともだ。

そうこうして「ひとまず3年」が経った。田代さんはグラフィックデザインの会社へと転職する。そして、この頃から今度は独立を考え始めるようになった。

「会社勤めそのものがちょっと窮屈に感じていたのと、通勤とかもどうも苦手で……。若い時にある会社に対するちょっとした不平不満と申しましょうか。そんな感じです」

と、少し苦笑いしながら当時の気持ちを素直に語る田代さん。

しかし、ただ単に不平不満を思うだけではなく、しっかりと行動は起こした。独立を視野に入れて、この頃から異業種交流会などに積極的に参加していく。

「やはり東京は上昇志向の人が多いです。独立気運を持っている人が多くて、それがとても刺激にもなりました」

スバキリ一味を紹介し、その後の田代さんのキャリアアップにもつながる大切な方と出会ったのもこの頃だ。
これからの田代さんの道筋を固めていく貴重な出会いとなるのだが、この時点で当然ながら、両者ともそんなことまで意識していない。

上昇志向の人たちの交流で刺激を受けつつ、人脈を広げていく田代さん。
グラフィックデザイナーとして仕事の紹介も受け、やがて独立を果たしていく。

「とはいえ、とても不安定でした」と当時の状況を語る。

紹介をもらうといっても、継続的な案件はなく、ほとんどが新規のもの。

「だから、合間を見てアルバイトもしていました。ビル建築や、飲食店、それこそ夜のバーとかでも働いていましたね」

グラフィックデザイナーとして独立したものの一方ではアルバイト、という立ち位置が半ばはっきりとしない生活が続く。そんな中で決定的な出来事が起こった。

新型コロナウィルス感染症による緊急事態宣言だ。

この影響で、アルバイトも含めて仕事が一気に減ってしまった。

「このときばかりはさすがにヤバイと思いました。とにかくランサーズなどに登録して、どんどん案件を取りまくっていきました」

安価な仕事も多かったが、背に腹は変えられない。グラフィックデザイナーとしての仕事をとにかく増やして凌いでいこう。
しかし、この行動こそが、デザイナーとして対応できる幅を広げ、実績を積み重ねへと結びつき、アルバイトとの掛け持ちという生活から抜け出すことになる。
あわや生活を追い込まんとするアルバイトの減少が、奇しくもグラフィックデザイナーとしての独立を支えることになったのだ。

この流れとともに、交流会に行き始めた当初に知り合った大切な方からの仕事の紹介も増え始める。

そのなかの一つに、広告代理店の紹介があった。

この出会いが、グラフィックデザイナー田代憲司として、大きな足跡を残すことになる。

大きな足跡と自信を記念に残して

「デザイナーとして大きな仕事ができるようになったのも、本当に最近なんです」

少しずつ実績を増やしていく中で、デザイナーとして大きな足跡を残すチャンスに巡り合う。

2022年12月に発売された北海道にある某有名ワインの周年記念ワインボトルのラベル制作だ。

写真はイメージ

まさに、ボトルのイメージ、いや企画そのもののイメージに関わる重要な仕事でもある。

この仕事は、コンペ形式でデザイナーが選定されるという条件だった。

「コンペといっても3、4人レベルの小さいものでしたけど……」

田代さんはやや謙遜気味に語るが、どんな形であれ「コンペを勝ち取った」という実績は、デザイナーとしての箔がつき誇れるものではないか。

しかも、今回は有名どころのワインメーカー。

そんな有名メーカーのコンペを勝ち取ったという実績だけでも、田代さんへの印象は変わる。

それだけではない。

この周年記念ワインは、発売と同時に即座に売り切れてしまうほどの人気商品となったのだ。

「制作にあたっては、自分一人だけでなく代理店の人からのご意見や、色々な人の助けがありました。それでもやはり、この仕事に関われたことは自分の中でも貴重な経験になりました」

それ以外にもこの経験は、これまでずっと引っかかってきた気持ちを軽やかにした。

それは、両親に対する思いだ。

薬剤師から度重なる進路変更し、デザイナーとして独立。しかし、アルバイトとの二足の草鞋(わらじ)という不安定な状態が続いていた。

「ようやく自分の仕事について、両親にも自信をもってしっかりと伝えられる、と思いました」

田代さんは、自分が制作したラベルが貼られたワインセットを、正々堂々と胸を張って両親に贈った。

ワインメーカーの周年記念ボトルは、田代さんにと両親にとってもかけがえのない記念品となった。

写真はイメージ

自分の中にある「遊び心」を支えに

「自分が大事にしているものは……、『遊び心』でしょうかね」

グラフィックデザインを手掛ける上で、ご自身が大切にしているものは何か? という質問に対して田代さんはそのように答えた。

ワインボトルのラベルデザインにも、田代さんなりの遊び心が仕掛けられている。

最近はキャラクターデザインの依頼も増えつつあるという。話を聞くと、その理由もどうやら田代さんなりの「遊び心」が、相手の心を掴み始めているようだ。

その代表となるのが、2023年春に茨城県で開業予定のグランピング施設のキャラクターデザインだ。

遊び心がいっぱい✨
グランピング施設のキャラクター

BBQグリルをハンバーガーに見立てたり…

施設のコンセプト、何をイメージしたいか、ということをクライアントから聞きキャラクターを作り上げる。
そのキャラクターが躍動しているグラフィックの中には、田代さんの遊び心がまるで隠し絵のように散りばめられている。

焚き火の煙が…!

「どうやら、それを面白がってもらえてきているようです」

田代さんは話を続ける。

「言われたことだけでただ組み立てるのは自分としても面白くないので、『こんなのどうかな』ってちょっと遊ぶんです。場合によっては『余計なことをするな』と言われてしまうことでもあるんですけど……」

だが、これまでに「余計なこと」ということは言われたことはない、という。

「いまとなっては、『田代がまたなんかやってくれるだろう』という雰囲気になっています」とちょっと照れくさそうに笑う。

有名ワインメーカーをつないでくれた広告代理店からの仕事が、いま増えつつある。その背景には、田代さんの遊び心に期待を寄せてきていることがうかがえる。

某企業のパンフレット表紙を飾ったイラスト
腸活ジェラートとライ麦ピッツァのイタリアンレストランのジェラートのパッケージ

田代さんの「遊び心」的な発想が、独自のグラフィックデザインとして、代理店だけでなくクライアントオーナーまで、認められ始めているという証だろう。

「薬剤師にならなくて正解だったと思っています。というか、なれなかったのですけどね(笑)。でも、仮に薬剤師になったとしても、きっと途中でやめて、こっち(デザイン)の道に来ていると思います」

両親を安心させるという優しい気持ちから、薬剤師を目指したが挫折。そこから、自分の素直な気持ちに逆らわない進路を選び、自らが大事にしている「遊び心」が効いたグラフィックデザインが浸透しつつある。
そして、磨き上げたその独自性で、両親に向けてこれまでの感謝の気持ちを込めた贈り物までできた。

田代さんの「遊び心」は、これからもどれだけの人を楽しませてくれるのだろう。

そんな期待に胸が膨らむ。

田代さんの「遊び心」の世界はまだまだ広がる

Another Story -さらに「遊び心」を求めて-

グラフィックデザイナーとして活躍中の田代さん、いまあることに挑戦している。

漫画」だ。

「実は、原稿を描いては出版社に『持ち込み』しています」

仕事の合間をぬって描いているという。

描き始めたのは、2022年初めぐらいから。4作品ほどの読み切り作品を創作し、中には漫画賞に出したものもある。だが、賞を取るにまでに至ったものはない。
今年は、雑誌編集者の意見や評価を受けて実力を上げていこうと決め、年初から構想を練り描き上げた5作品目を、2月に出版社へと持ち込んだ。

「また、来月にも原稿を持ち込むつもりです」

という田代さん。

漫画「SANTA MATE」表紙のラフスケッチ
スケッチのような雑なタッチの雰囲気が好き、という田代さん。

「漫画を描くのもそうなんですけど、どうもストーリーを作ったり、色々とアイデアを出したりすることにワクワクするんですよね。そんなことを考えている最中が一番楽しいです」

ただ欠点があって……、と言葉を続ける。

「アイデア出し切ってしまうとそれに満足してしまって、思いのほか今度はペン入れが億劫な感じになるんですよね」と笑う。

初の持ち込み作品は、独学で描いたものだっただけに、編集者からは「絵が描けていながらも読みづらい」との指摘を受けた。
でも、ストーリーの完成度は高い、という評価もしっかりもらった。

ストーリーづくり、アイデア出しが好き、という「遊び心」気質は、漫画の分野でもしっかりと刺さっているようだ。

実際の原稿より
(左)「I am Homunculus」
(右)「Into the JAMBLE」

「ゼロ」から「1」にしようとすること、考え込んでいる過程、これが何よりも好きですね、と自分の気質を分析する。グラフィックデザインでの「遊び心」も、この気質が源流となっているのは間違いない。

その「遊び心」でグラフィックデザインの分野で実績を広げつつ、小さい頃から好きだったという漫画も描を始め、「漫画家にもなってみたいですね」と新しい分野への挑戦を軽いタッチでさらりと語る田代さん。

ご自身の生き方も「遊び心」満載のようだ。

取材・執筆:白銀肇

自分のために生きていく―そう決めて選んだフリーライターの道|スバキリ
「中二病みたいなものですよね」第二の職業人生とも言える現在のフリーランスライターとしての仕事観を語りながら、白銀さんは照れくさそうに笑う。生活するため、家族を支えるために働き続けてきた会社員時代の後半には「今歩んでいる道を踏み外してみたいけれど、踏み外せない」という「中二病」に似た感情を持っていたという。会社の枠を超え...