43歳、男性のデザイナー
文字モジ男(もんじもじお)。
この名前を聞いてあなたはどんな気持ちになっただろうか?
「ユニーク!」
「キャッチー!」
「文字へのこだわりがあるの!?」
人によって、とらえ方は変わるだろう。
まず、どんな経緯でこの名前にしたのかを聞いてみた。
モジ男
「2019年のある日、異業種交流会に参加した時のことです。デザインの仕事をどうわかりやすく伝えようか迷っていたぼくに、”名前を変えてみたら?”と仲間から提案されました。そこで出てきたのが『文字モジ男』。めちゃダサいじゃないですか?(笑)冗談で言ったんだと思うんですけど、“確かに覚えやすいし真に受けてみよう!”と思って決めました」
フォントに特化したグラフィックデザイナーのモジ男さん。
書籍の表紙を担当することも多いという。
ゴシックや丸文字、明朝体などをはじめ数十万種類もあるフォントのデザインで見る人への伝わり方は大きく変わる。どうしても納得できない場合は自作することもあるという。次に、活動名にもしている【文字】に対する気持ちや想いについて聞いてみた。
モジ男
「文字で著者の想いや人柄をグラフィックデザインで表現できると信じているからです。例えば、本の表紙のデザインってタイトルはフォントとセット。大切な想いが届くようにしたいんです。あと、表紙を見た人が読むか読まないかが分かれるとても重要なパートでもありますから」
真に受けてみると、世界は広がる
かの有名なアインシュタインの言葉で、
「常識とは 18 歳までに身につけた偏見のコレクション」
というものを聞いたことがある。
また、「30代になると性格を変えたり、新しいことに挑戦することも難しい」という声を聞くことも多い。
自分らしさを大切にして生きるモジ男さんの価値観の1つ。
「真に受けてみる」
このことについて語ってもらった。
モジ男
「なんでもご縁だと思っていて、“今起こっている出来事は今の自分に必要なもの”ととらえるようにしています。人との接点がないと自分の殻から抜け出せないんですよね。聞いただけだったり知ってるだけじゃなくてやってみないとわからないことがある。やると自分の世界も広がるし成長もできる。このインタビューもそんなノリで受けさせていただきました。ありがたいなと思っています(笑)」
取材時はインパクトのある名前と、ロングの黒髪とヒゲが似合う外見から個性的なイメージを受け取るとともに、人や仕事にまっすぐな姿勢にすぐに好感を抱いた。
しかし、フレンドリーで愛嬌のあるモジ男さんだが、過去には自分の気持ちを言葉にできなかったり、自己表現できずに悩んだこともあったという。いったいどのようにして、今のモジ男さんになったのだろうか?
その人生に迫ってみた。
自己表現ができなくなった過去
小学5年生のある日の図工の時間。
モジ男さんの作品を見た担任の先生がそれを持って他のクラスにプレゼンにいくほど感動してくれたという。
物心ついた時からマンガ系のイラストをのびのびと描いてきた。画家志望の母や周囲が褒めてくれるのがとても嬉しかった。
絵はモジ男少年にとって重要な自己表現であり、人とのコミュニケーションの武器となっていたのだ。
しかし、小学校を卒業し、中学校に入学すると彼を取り巻く環境はガラッと変わってしまう。
モジ男
「福岡県飯塚市というところで育って、中高一貫校の男子校に入ったんですけどそこには九州のヤンチャな子たちが集まっていました。目立ったらクラワセられる。地味で目立たないように空気を読んでました。パンを買ってこいと言われて売店まで走っていったりしてましたね(笑)」
そんな環境の中でも、絵だけはずっと家で描き続けていたという。
ただ、他人に絵を見られることが怖い・・・。
親に見せることも無くなってしまった。
美術大学への進学という一筋の光
高校2年生の夏のある日のこと。
この日、担任の先生から高校卒業後の進路についての面談があった。
勉強に身が入らず、試験も一夜漬けで乗り越えるタイプ。世の中にどんな職業があるのかもわからない。
「自分がなりたいものはなんだろう?」
そんなふうに悩んでいた時の面談だった。
モジ男
「先生が“美術大学があるよ”と教えてくれたんです。”勉強することに比べたら好きな絵を描いて大学に入れるなんて楽勝だ!”くらいに思ったのを覚えています」
その後、美大に入るための予備校に入学。
家で1人で絵を描いていた環境から、美大を目指す生徒3名と一緒に描いて見せ合う環境に変わった。
しかし、1年半かけて受験に挑んだものの、不合格。
ネックとなったのは、絵ではなく教養科目の点数だった。
不合格の結果が出た日、予備校の先生から、
「もっとライバルがたくさんいる福岡市の予備校に通った方が良い。そこは九州で一番大きいし100名くらい生徒がいるから」
と声をかけてもらったという。
モジ男
「その予備校は家からバスで1時間半もかかる予備校でした。1日2000円バス代がかかることや学費もかかることがわかって・・・両親に相談したところチャレンジさせてくれたんです」
1年間、朝から夜まで絵を描き、勉強・・・。
昼は1人で公園で食べ、生徒とは一切交流を持たなかった。
「これがラストチャンス・・・絶対に受かる!」
努力が実り、無事志望していた美術大学に合格できた。
“コミュ障”を克服した大学時代
しかし、念願のキャンパスライフが始まったものの、壁となったのは自身のコミュニケーション力のなさ・・・。また、男子校出身だったこともあって同じ空間に女子がいることにも戸惑ったという。
絵に描くことに関しても課題を抱えた。
美大受験対策用の絵は描けても、「自由に描いてみなさい」と先生に言われると、途端に描けなくなってしまうのだ。
モジ男
「”このままじゃダメだ!”と思っていたところに演劇サークルの女子がイベントのチラシを配っていて、見に行ったんです。すると、めちゃくちゃ面白くて、”こんなに笑ったのいつぶりだろう!?”ってくらい感動しました」
その後、演劇サークルのスタッフを志望。
しかし、先輩から
「1年生は役者からやれ!」
といわれた。
【人前に立って表現すれば、人生が変わるかもしれない!】
そう思い、入部することを決意。
この環境の中で、それまでワンマンプレーだったモジ男さんは変わった。
特に宣伝美術というチラシなどの制作にハマったのだ。これがグラフィックデザインとの出会いである。
モジ男
「人の想いや言葉をデザインに具現化していくのがめちゃくちゃ楽しかったんですよねー!自分の力をチームのために発揮できることも嬉しくて、自信にもなりました」
その後、グラフィックデザインにのめり込む。
どれくらいのめり込んだのかというと、留年するほどであった・・・。
行為の先には常に人がいる
2004年、24歳で社会人となり、デザイン事務所に入社。
そこでは書籍出版の装丁の業務もおこなわれていた。しかし、入社1年目はパソコンを触らせてはもらえなかったという。
モジ男
「感性が鈍るからペンで描くように言われていました。あと社長が花を買ってこいとか、お菓子を買ってこいとかいうんです。なんで花を買わなくちゃいけないんだと不満を感じながら適当に青い花を買って帰ったらめちゃくちゃ怒られました(笑)」
「なぜ、この花なのか?」
「なぜ、このお菓子なのか?」
「相手に対するおもてなしの心を忘れてはいけない」
「行為の先には常に人がいるんだ!」
これらの言葉には、社長からモジ男さんへ「デザイナーとしてのマインドを持ってほしい」という熱い想いが込められていた。ただ、この時はまだ社長の言葉の真意を受信しきれてはいなかったという。
それがわかったのは、その会社で3年半で退職し、別の広告代理店に入社してからのことだった。
モジ男
「デザイナーさんや営業担当の人たちと打ち合わせをする時に、お菓子を買ってくるようにお願いしたんです。すると、出席者の好みに合ったものを全く買ってこなかったんですよ。あと、手が汚れるお菓子ばかりで。”もっとおもてなしの心をもたないと!!”と思った時に、“アレ・・・?これって前の会社の社長が言ってくれてたことじゃないか・・・!!”と気づいたんです」
デザイナーとして生きていく上で欠かせない、【大切な贈り物】をしてくれていたことを痛感し、感謝の気持ちでいっぱいだったという。
その後、仕事でもプライベートでも、
「人に対する興味・関心を持とう」
「あの人はどうしたら喜んでくれるだろう?」
と意識するようになっていく。
没個性でデザインに向き合う
・中高時代で得た空気を読む力
・大学時代の演劇サークルで培った自己表現力
・社会人経験の中で身につけたおもてなしの心
これらがかけ合わさり、今のモジ男さんがいる。
また、2020年のある日、「文字」をさらに探究しようと書道を学び始めたという。その師匠の言葉で刺さったのが、“没個性でいろ”というもの。
「自分を抑えて相手に役立つことをやりなさい」
という意味だ。
モジ男
「自分を抑えるといっても、やらされ感でやるんじゃないんです。クライアントの要望に応えていたら勉強になるし、経験も増える。つまり、自分のためだけに生きていても限界があるし、成長することは難しくなるし、世界も狭くなる・・・。そんなことを実感した日でした。それから、ご縁を大事にするようになりましたね。そうすると、自然とデザイナーとしての活動も広がって楽しくなっていったんです」
ご縁からホテルの壁のデザインをすることも
スバキリ一味との出会い
2022年10月のある日。
所属している交流会のメンバーから、「クラウドファンディング制作を代行している会社がデザイナーを探しているよ」という声がかかった。
モジ男
「もともとYouTube動画のサムネイル制作はしていたんです。サムネイルで心をつかめないと動画は見えてもらえないじゃないですか?クラウドファンディングのサムネイルも同じですよね。とても大切な役割だと思っていたのでやってみようと思って参加しました」
モジ男さんのサムネイル制作のこだわりは2つ。
①できるだけシンプル、ありのままにデザインすること
②2案提出して、クライアントに選んでもらえるようにすること
モジ男
「これは個人的な想いなんですけど、1案だけだとクライアントは、”あ、できたんですね”という受け身になると思うんです。でも2案出すことで、“自分で選んだ”と思うでしょう?そうなると、サムネイルにも愛着が生まれるし、気持ちよくプロジェクトをスタートしてもらえる。そういう意味があります」
大切な人たちの夢中の架け橋となる
モジ男さんは今、
「誰もが書籍出版をできる社会」
を実現したいと思って活動している。
子どもの頃から紙の本が好きだった。
マンガ、小説などに囲まれていると安心感を抱いていた。
なぜなら、本の向こうには著者がいるからだ。
本は、著者の分身を感じられるものでもあった。
モジ男
「“言ってくれれば良かったのに”っていう言葉があるじゃないですか?でも、人間は直接顔を見て言えないこともありますよね。ぼくの父は10年前に他界したんですけど、そんなタイプでした。遊んでくれないしゴルフばかり行ってたんですけど、父が亡くなってからわかったのが、ゴルフや飲みにばっかり行ってたのは家族の生活を守るためだったんです」
モジ男さんの父はもともと長野県出身。
結婚を機に福岡に移り住んだ。
村社会では、ゴルフができることやお酒を飲めることで、仕事で関わる人たちの輪に入ることができる。父が子どもたちにが安心して生活できるように頑張ってくれていたことは、亡くなった後に知らされた。
モジ男
「このことからぼくの活動の理念として、“大切な人たちの夢中の架け橋となる”というものがあって、書籍出版はまさに理念にフィットする仕事なんです。直接だと伝えにくいことでも本に書けるし、悩んでいる人を救えたり、事業の発展にも繋げられる可能性も信じています。だから本を出したい人のサポートをしていきたい。本の表紙のタイトルや見出し帯のデザインでも力を発揮して、著者と読者をつなぐ架け橋となりたいです。責任重大ですけど、やりがいがあります」
収入や社会的地位、他者からの評価などに惑わされることが多い資本主義の中で私たちは生きている。
そんな中でモジ男さんは、
「自分の存在や仕事の意味は自分でつけて良い」
「その自分の行為で人をどう喜ばせるか」
と優しくも芯のあるメッセージを放ちながら、前に進み続けている。
執筆:水樹ハル