「自由に生きる」を実践するために。行動を重ねてたどり着いたライターという道

メンバー紹介

かなっぺは、表情をくるくる変えて話す。目じりを下げて笑っていた数秒後には、眉をひそめて困った顔をしていたりする。目を閉じて考えていたと思ったら、ぱぁっと笑って、答えが分かった!という顔をしている。

まっすぐで、正直で、情熱的。そんな風に感じる話し方だ。

「行きたいところに行きたい。自由に生きたい。そして人を喜ばせたい」

かなっぺこと上原佳奈さんは、学生時代からずっとそう思い続けてきた。そして自分なりに動き続けることで出会ったスバキリ一味のライターの仕事は、まさにその願望をかなえることができる働き方だと言えよう。

「ライティングって幅も広いし、奥も深い。もっともっと深めていきたい」とライターの仕事に意欲を見せるかなっぺだが、ここにたどり着くまでには、紆余曲折があった。

動いてみる、そしたら何かが起こる

「私…何かを始めるときに、強い覚悟みたいなのがないんですよね。なんか面白そう!ではじめちゃう」と眉根を少し寄せて、かなっぺは言う。

沖縄から広島の大学に進学したきっかけは、「ずっと沖縄で暮らすだろうから、一度くらい外に出てみるか、と思って」

大学在学中に9カ月間の交換留学に応募したきっかけは、「将来例えば自分が親になったときに、“本当はああいうことしたかったのだけどね”みたいなことを言っていたら嫌だな、と思って」

でも、「沖縄を出てみたら、面白い人にいっぱい出会えた」し、「留学先もとても楽しくて、お世話になった人に会いに行きたいと思う」ほどなのだという。

留学先はラスベガスと同じネバダ州にあるリノという小さいカジノの町

大義名分がなくったって、行動すれば学びもあるし、楽しみもある。このフットワークの軽さこそ、かなっぺの魅力であり、自分自身でも大切にしていきたいところなのだろう。

留学から戻ったのは大学4年生の5月。卒業を1年延ばして、ゆっくりと就職活動をしようかと思っていたが、「早く働いたほうがいい」と考える機会があり、慌てて卒業の準備と、就職活動をはじめた。

そう考えるに至ったのは、あるビジネスコミュニティとの出会いがきっかけだった。

自分でビジネスをしたい!

留学から戻った頃に友人を介して出会ったのが、独立系のFP(ファイナンシャルプランナー)を中心としたビジネスコミュニティ。サロンや接骨院のオーナー、マジシャンや書道家、これから自分で店を持ちたい人など、「自分で商売を頑張りたい人たち」の集まりであるそのコミュニティに、かなっぺは顔を出すようになった。

「卒業後どうしようかなと考えていたときに、FPさんが“何になりたい?”じゃなくて“どういう風に生きたい?”って聞いてくれたんですよね。そのときに“会いたいなと思った人には会いに行きたい、自由に生きたい”って答えました」

その生き方をかなえるには、自分で商売をするのがいい、と考えたかなっぺ。でもまずは経験を積むために副業から始めようと、「副業ができること」を優先して新卒の就職先を探すことにした。土日休みであること、定時に終われること、通いやすい場所にあること…これらの条件を満たす、商社の営業事務の仕事に就いた。

就職して早々に副業として始めたのは、オーダースーツのフィッターの仕事。

人に会って採寸させてもらい、スーツの生地や色味も提案して、気に入って注文をもらえれば、紹介料が入るという仕事だった。

次にやってみたのは、地元沖縄の塩を仕入れて売ること。

卸して売っていた塩

そして「せどり」と呼ばれる、仕入れた商品を仕入れ額よりも高い値段で販売し、その差額を利益とするビジネスをはじめる。

せどりではドン・キホーテや家電量販店を中心にまわっていたそう

「最初、“詳しい人”に100万くらい払ってせどりについて教えてもらいました。やりはじめて、これで食べていけそうと思って、2年半ほど働いていた営業事務の仕事も辞めたのですが…やっぱり厳しくて飲食店のバイトもするようになりました」

しかし、せどりに必要不可欠な細かい計算や作業が負担に感じたことや、「私には、“朝本当に起きられない”という致命的な問題があるのに、バイトは毎朝早く起きなければならなかった」という状況から、この頃はかなり追い詰められた毎日を送っていた。

見かねた知り合いのリラクゼーションサロンのオーナーが、せどりの仕事を辞め、サロンで働くように勧めてくれた。

足つぼマッサージ等の施術をし、お客さんと話をして、喜んでもらえる仕事はとても楽しく、メンタル的にも安定するように。サロンに勤務しながら、求人広告の営業の仕事もするという生活を送るようになった。

人には、必ず、得意なこともあれば不得意なこともある。かなっぺの人生のストーリーを聞いていると、まずは動いてみる、そして好きなこと、嫌いなこと、得意なこと、不得意なこと―それらを体感して、自分が進む道を判断することがいかに大切かを思い知るのだ。

頭で考えるだけで、結局動けない人が多いなか、かなっぺの、この泥臭いとも表現できそうなこの人生の歩みは、きらきらと眩しい。

お金のことを知りたい!仕事にしたい!の気持ちから

いくつか仕事を経験していくなかで、かなっぺは「一生続けられる仕事のスキルを身に着けたい」と考えるようになった。知り合いの独立系のFPたちが、周りの人たちに感謝され、生き生きと仕事をしている姿に憧れ、目指すことに。

まずFP3級を取得し、金融の現場も知っておいた方がよいだろうと、保険の総合代理店に社員として就職する。仕事は、イベントや店舗の入り口でアンケートに回答してもらい、アポを取ることだった。

この頃から関わりはじめるのが、現在、Twitterのフォロワー44.3万人、YouTubeチャンネル登録者数208万人の「リベラルアーツ大学(通称リベ大)」の両さんだ。

リベラルアーツ大学
リベラルアーツ大学は、人生を豊かにしていくために、自分らしい生き方とは何かを考え、ワクワクする生き方を求め、日々その生き方を実践しているメンバーのライフスタイルや考え方、実践方法などの情報を発信しているブログです。

まだ今ほど名が知れ渡る前、両さんが発信する「学校では教えてくれない【充分な経済力・自由な時間・自立した精神】を得るために必要なこと」の内容に惹かれたかなっぺは「固定費を削減するオンラインサロンをやりたいので、協力してくれませんか?」とTwitterのDMを送ったのだという。

結局その計画は頓挫したものの、現在のリベ大の前身となる小さなコミュニティを立ち上げるときに、両さんから声がかかった。

すべてオンラインのやりとりだったそのコミュニティ。各々が自分の生き方を見つめ直す「価値観マップ」を作成したり、自分で新しく事業に取り組んだりと、参加した人たちは充実した日々を送っていたそうだ。

両さんのぬいぐるみと

「両さんの発信でお金の勉強をしたら、“本当に必要な保険って、限られてるな”と思うようになって。必ずしも必要ではないと思っているものを売るのもどうかな」と感じて、保険会社を退職。FPになりたいという夢も「仕事じゃなくてもいっか」と思うようになった。自分が実践していけばいいし、仲のいい人がお金のことで困っていたら個別で口を出したり、ブログなどで発信をすることで、知りたい人に伝わればいい、と感じるようになったのだという。

「手に職」のエンジニアを目指したけれど…

かなっぺが次にトライしたのは「エンジニア」の道だった。「手に職をつけたい、という気持ちは変わらなくて…稼げる可能性があると思ったし、場所にとらわれない働き方ができる仕事だと思って」一から勉強を始めた。

WEBのシステムやアプリをつくる会社に、未経験の中途採用というかたちで就職したものの「やりはじめると、細かいことが得意じゃないことがはっきりと裏目に出てしまいました。ミスがめちゃくちゃあるし、目に見えないシステムをつくるのは、面白いよりしんどいと感じる時間のほうが長くて」1年も経たずに退職。

当時、別で行っていた活動のほうが圧倒的に楽しかったし、報酬も発生していたので、そちらの活動に注力をすることを決意。SNSやライティングに挑戦するようになった。

2021年2月、ブログ記事を任せてもらえることをきっかけにライターと名乗るように。思えば昔から、書くことは好きで得意だったのだ。

東京へ

時を同じくして、かなっぺは住み慣れた広島から東京へと引っ越す。広島に留まる理由がなくなった頃、Twitterで相互フォローしていたセカイ監督が運営しているクリエイター専用のシェアハウスに空きが出たのを知り、住んでみたいと思った。

クリエイター専用のシェアハウス HOUSE IS / 文京区
HOUSEIS クリエイター専用シェアハウスハウスイズは、遊ぶように生きるチームです。シェアハウスという枠組には囚われません。僕たちはクリエイティブなチームであり、第二の家族です。部屋にいると隣の部屋からYoutubeの撮影をしてる声が聞こえて、リビングにいくとiPadでイラストを描いてる人がいて、カメラと照明を持って...

映像ディレクター・プランナー・YouTuber・イラストレーター・脚本家…15~16人のクリエイターたちが共同生活をする住居だ。かなっぺはこのシェアハウスに入居してから動画編集を勉強し、住人から仕事を振ってもらうようにもなった。一緒に仕事をしたり、助け合ったりする住人たちに囲まれた彼女は「急遽人が必要になって、ドラマ撮影の“音声さん”の手伝いもすることもある」という暮らしをするように。

シェアハウスの住人たちと

スバキリ一味にライターとして参加するきっかけも、このシェアハウスの住人のつながりだ。現スバキリ一味のアートディレクターよらさんが、当時住人だった「るい君」と「爆夢君」をたずねてこのシェアハウスに来た際、たまたまリビングにいたかなっぺと話すうち、共通の知り合いがいることも判明。「ライターなら、スバキリ一味で募集しているよ」とつないだのだ。そして、今に至る。

東京のシェアハウスに移り住むという行動力からのご縁というのは、何ともかなっぺらしい。

「縁」と言うとたまたまの出会いと思いがちだが、彼女は縁をつかみにいっている。待っていても良縁なんてやってこない。がむしゃらに動いてこそ、出会えるものなのだ。

旅行先の八丈島にて

誰かを勇気づけられたら嬉しい

私…わりとやらかしてきたという気持ちが強いんです

悲しそうな顔をして、かなっぺが言う。

「新卒で就職した営業事務の仕事も、発注書をためてしまって結局できないとか、もう給料泥棒みたいなものでした。よく2年半も居座れたな…会社からしたら大損害ですよね。朝が起きられないとかも、ほんとにダメだなって思うんです」

ここで、かなっぺの表情が変わった。

よくないところがいっぱいある私だけれど、トータルで自分の満足度が高い人生を送ることができればいいし、それを発信することで、少数派の人であっても誰かの後押しができたらいいなと思うんです」

朝が弱ければ、昼からの仕事をすればいい。
細かいことを正確にこなすのが苦手なら、どんどんアイデアを膨らませるような仕事をすればいい。
繰り返しの作業に飽きてしまうタイプなら、毎回内容が変わる仕事をすればいい。

「得意なものを見つけたいとチャレンジしてきたけれど、めちゃめちゃ得意だぜと思うことでなくても、まぁ楽しいなと思えることであれば伸びしろはある

そう語るかなっぺは、いろいろなことをやってみて、自分のことを知り、そして新しいことにトライし続け、自分により合う道を選びなおしている。何度でも、何度でも。

そんな姿に勇気づけられる人は、大勢いるに違いない。現に、取材をした私だって、彼女から大いに勇気をもらったのだ。

取材・執筆―石原智子