「大変なところに入ってしまった…」
2022年の春、リターン担当としてスバキリ一味に入った渡邉さんは、研修を受けながらそう思っていた。
「オンラインでのやり取りが苦手で」慣れていなかったし「電話したい!!聞いた方が早い」と、何度も思ったのだとか。
確かに、テキストベースのコミュニケーションは、初めての人にはハードルが高いかもしれない。毎週月曜の定例会や交流会があると言っても、子育て真っ只中の世代の方であれば、その参加も簡単ではないハズだ。
では、そんな環境になぜ飛び込めたのだろう?
答えは「信頼している人からの紹介の仕事」のほうが「間違いがない」と考えているからだ。
ママ友である「田邉さんのFacebookのお仕事募集を見て」一味入りした渡邉さんがこれまで大事にしてきたこと。
取材前のやり取りでは「なんの変哲もない主婦で」といった言葉を何度か発していたから、遠慮がちで自信がない人なのかと思いきや、取材中はノンストップで言葉が溢れ出てくる(笑)超ど級コミュ力お化けだったこと…などなど。
渡邉さんの魅力をご紹介させていただきたい。
バスケ一色の青春時代
栃木県、宇都宮市に生まれた渡邉さんは、3姉妹の末っ子だ。
2人の姉に続いて「別に自分の意志じゃなくて」当然のようにバスケットを始めた。
家族写真
小学3年生のときに入部して、小・中・高とキャプテンや副キャプテンを務めた。
高校はバスケの特待生(特別待遇学生)として入ったのだという。
「バスケに縛られてた青春時代」は、7時から朝練、授業中は寝て、放課後はバスケに全力投球。土日は必ず練習試合か大会か、というものだった。
「辞めたいと思ったこともないけれど、辞められなかった」と振り返る渡邉さん。
「勉強は嫌いだったし、仲間がいるし。
遠征とかも親に助けてもらってたし、期待に応えなきゃって。
そしたらおのずと結果がついてきて、おいしい話を頂いて、高校も授業料が免除。」
「私の9年間は、何聞かれてもバスケしかないな、みたいな。そんな感じでしたね」
特待で高校に入るなんて結果は、並大抵の努力では手に入らない。
始まりは自分主体でなかったとはいえ、周囲の期待にも応えるように、渡邉さんはバスケをやり切ったのである。
3ヶ月で大学を辞めて…。
仕事だったり、子育てだったり、部活だったり。
熱中していた何かからパッタリと離れた時、その代わりは簡単に見つかるものではない。
やり切った渡邉さんも、そうだった。
養護教諭を目指して指定校推薦で入った短大も、授業に出たのは3ヶ月ほど。
強い思いがあった訳ではなかったため、夏休み明けには辞めた。
そうしてフリーターになった渡邉さんは、2箇所のバイトをかけもちするようになった。
1つは、友達の叔父さんがやっている割烹料理屋さんで、平日ホールスタッフの仕事。
そのお店はランチもやっていたから、ディナーまで通しで入ることもあった。
もう1つは週末に「幼馴染のご両親がやっていたスナック」を手伝った。
「信頼する人からの紹介で働く」ことの良さを、この頃から知っていたのかもしれない。
2年ほどフリーター生活を続けたが、「このままじゃいけんな」と思った渡邉さんは20歳の時に就職し、歯科助手として正社員で働くことになった。
さて、皆さんも経験があるかもしれないが、人生の決断の中で、仕事だけでなく恋愛が重要なファクターになることは多々ある。パートナーは、自分の人生に関係してくるのだから当然と言えよう。
渡邉さんにも当時、「小学生の時から」の幼馴染で、「中学の時に付き合い始めた」彼氏がいた。彼は当時、大学生。栃木と山形の遠距離恋愛だった。
土曜日の診療が終わると、渡邉さんは終電近くの新幹線で山形に向かう。土曜日の深夜に着いて、帰るのは翌日。あゝ無情、山形から宇都宮への終電は早かった。
チケット代だって安くない。
それなのに、滞在時間は24時間にも満たない「超弾丸」デートだ。
そんな逢瀬が続くうち、「もう嫌だ!土日休みの仕事に変えたい!」と渡邉さんの転職熱はヒートアップした。
目標を持った渡邉さんは、強い。
働きながら、毎週日曜みっちりスクールに通い、約3ヶ月で医療事務の資格を取得したのである。
23歳の時には、歯科医院を退職して念願の土日休みの仕事へ就くことができた。
彼氏は大学を卒業して就職したが、研修は東京。
お付き合いは順調に続いていた。
彼氏を追いかけ大阪移住
東京で1年間の研修を終えた彼氏の、最初の配属先は大阪だった。
ここで渡邉さんのガマンは限界に。
「山形と栃木で5年間遠距離したのに、またかと思って。」
ちょうど、東日本大震災後で派遣社員の不安定さを痛感し、仕事についても悩んでいた。考えた結果、渡邉さんは会社を辞めた。
ダンボール2つを軽自動車につめて、10時間かけてお引越し。初めて実家を出て、大阪で同棲を始めた。
2人でよく自転車に乗ってお出かけしていた。
写真は万博公園
縁もゆかりもない土地で、寂しくならなかったんだろうか?と思ったが、全く問題なかった。
「大阪ホントに楽しかったなぁ〜!」と、笑顔で当時を懐かしむ渡邉さん。
彼女はいわゆる「コミュ力おばけ」だったのである。
近所のクリーニング屋のおばちゃんと、1時間ほど話すなんてザラだった。
「すぐそのへんのスーパーでもおばちゃんと話しちゃう。あまり『はじめまして』の人と話すがのが嫌いじゃない」
「一生会わないかもしれない」けれど、だからこそ何のためらいもなく、フラットにお話できるそうだ。
これは、誰にでもある感覚ではないと思う。
天性のものなのか、これまでの仕事や見知らぬ土地に引っ越したという環境の変化で磨かれたものなのか、「大阪のオバチャン」達がポテンシャルを引き出すのにひと役買ったのか、スナックで年の離れた世代のお客さんとたくさん話してきたからなのか…いずれにせよ、一つの才能だ。
ところで、大阪で同棲していたのは相手のご両親には内緒だった。
しかし、ひょんなことから同棲はバレてしまう(笑)。
一緒に住むなら結婚しなさい、という流れで「周りにもうまくアシストされながら」結婚。紆余曲折ありながらも10年以上付き合った彼氏が、夫になった。
人妻となった渡邉さん
子育てに捧げた7年間
大阪の次は神奈川県、川崎市への引っ越し。そして、その後は夫婦の故郷である宇都宮に戻った。
ほどなくして、第一子を出産。
「3年5ヶ月のうちに3人」産んで、2018年にはあっという間に3児の母になった。
一味の田邉さん・櫻井さんとママ友になったのは、第三子が生まれる前の2017年のことだった。
子供たちとの一枚
「落ち着いてきた」とはいえ、3人の子育ては多忙だ。
「早く一人になりたい」「とにかく自分の自由が欲しい」と思いながらも、とにかく7年間「無我夢中で」子育てをしてきた。
「子供を産んでから多分、自分のことはさておきな時間の方が濃かった気がするんです。人生の中で。35年のうち子育てって7年しかしてないけど、今の自分の体の8割は子育てで出来ている、ぐらい」
「バスケの9年間よりも、大阪での楽しかった数年間よりも、子育ての7年が濃いなって」
…子育ての濃さ、恐るべしである。
未婚の私にはイメージしづらい部分もあるが、自分の自由な時間がほんの僅かで、イレギュラーでかき乱されることもあって、それが毎日続くなんて…。
もちろん、大変なこともあると同時に、楽しいこともたくさんあるのだと思う。色々なことを経験して思い出も増えて、子どもも可愛いに違いない。だけど、果たして3人もいっぺんに子育てって、誰にでもできるだろうか?頭が上がらない。
再び情熱を注げる何かを探して
2022年には一番下の子も幼稚園に入り、ようやく9時半〜13時くらいまではひとりの時間を持てるようになった。
焦がれてきた自分だけの時間。
いざそれが手に入ると、働きたくなったのだそうだ。
そんな時に、ママ友である田邉さんのFacebook投稿が目に止まった。
ランチに行って話を聞き、スバキリ一味での仕事にチャレンジすることを決めた。
リターン入力の仕事は、子どもたちがいない時間をメインに取り組んでいる。
苦戦しつつも、「目に見えて」自分の働きがプロジェクトページに反映されるのは「これ入れたの私だ」と達成感を感じる。
子育ては、誰かから報酬をもらえるわけでもなければ、すぐに目に見える成果が上がる類のものでもないから、余計楽しいのかもしれない。
世界を広げて、自分の「やりたいこと」を見つけたい
今の仕事にやりがいも感じる一方で、どこか渡邉さんの口ぶりは物足りなさそうだ。
「【好きなものを仕事にできる】っていうのが良いな〜とは思う」「私は何も持っていないから」と話す。
一度バスケに打ち込んだ経験があるからこそ、また自分が情熱を注げる「特別な何か」を求めているのかもしれない。
「自分のやりたいことがまだ見つかっていなくて。それを見つけるのに、スバキリではすごく私の中で刺激をもらうんですよ」
さまざまなプロジェクトを目にしては、新鮮な気持ちで眺めているんだとか。「同じ栃木で、お米を作ってクラファンやっちゃう人がいるんだ、とか。これなら私もできそう!…って、思えるものはまだないんだけど、色んな人に関わって、色んな人の生き方を見て…。ありがたいなって」
「自分でなにかやりたい!」けれど、「自分で見つけられないなら、人に見つけてもらうこともアリかなぁって。」と割り切っている部分もある。
それから、今後について聞くと、こうも話してくれた。
「しがない専業主婦の星になりたいですね」
「『この人、(仕事の武器になる特技や資格は)なんもないのにスバキリで活躍できてるんだ、すげぇ!』っていうか。」
「(スバキリ一味は)なんでも持ってる人ばっかりの集まりじゃないよ、っていう星になりたいかな」と笑う。
確かに、スバキリ一味は何かしら「好き」や「得意」を尖らせた人が多いから、気後れする人もいるかもしれない。
でも、一味はチャレンジする人を応援する集団。だから、きっと渡邉さんの「わくわく」すること、「やりたいこと探し」もみんな応援してくれるに違いない。
ありたい方向に向かって、行動を続ける渡邉さん。
「何も持ってない」というけれど、「もう持っている」ものは確かにある。
コミュ力お化けな部分だったり、人を信じて頼ることが自然にできたり、目標ややるべきことが決まった時の強さもそうだ。
渡邉さんがすでに持っているものが、「仕事」と結びついたときには、子育てとはまた違う種類の濃さを感じられるに違いない。
これからどんな世界を見て、何にときめき、のめり込んでいくのか。渡邉さんが、人とのつながりから、熱中できることを手繰っていく姿。
そうして、それがかなった暁には同じように「子育て」が一段落して自分にできる何かを探したい主婦(夫)の方を勇気づけることになるだろう。
私も、その未来を見るのが楽しみで仕方ない。
取材・執筆 上原佳奈