自分のために生きていく―そう決めて選んだフリーライターの道

メンバー紹介

ライター 白銀 肇 (しろかね はじめ)(9)

「中二病みたいなものですよね」

第二の職業人生とも言える現在のフリーランスライターとしての仕事観を語りながら、白銀さんは照れくさそうに笑う。

生活するため、家族を支えるために働き続けてきた会社員時代の後半には「今歩んでいる道を踏み外してみたいけれど、踏み外せない」という「中二病」に似た感情を持っていたという。会社の枠を超えて、自分の望むように羽ばたいてみたいという憧れと、会社の看板がなくなったら自分には何もないかもしれないという劣等感―そんな相反する感情に決着をつけ、2020年、白銀さんは29年勤めた会社を辞めた。

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フリーランスライターとして歩みはじめた今の生活を、「フリーランスの可能性は広く、深い。行けるところまで行ってみようと思う」と語る彼の表情は、清々しい。

身を粉にして働いた会社員時代

勤めていた会社では、包装資材の法人営業・韓国への貿易業務・電子部品の生産管理などを経験。40人を超えるメンバーのいる生産管理部では、部長として責任をとる立場だった。

リーマンショックの影響で会社が400人規模のリストラを決めた際には、リストラをする側の役割を担うことになり、その精神的負担はかなりのものだった、と白銀さんは語る。「自分みたいな者が、人の生活を左右するような評価を下していいものか」という気持ちに苛まれると同時に、もし会社の看板がなくなったら自分はどうなるのだろう、と自問する機会が増えたという。

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そうは言っても、休みの日も携帯を持たされる管理職。生産管理部門のあとは、購買やベトナムでの法人設立と、日々の仕事が忙しく、「ずるずると」仕事を続けていたという。そんななか、転機が訪れる。2020年、希望退職者が公募されたのだ。

ちょうど2人の娘も独立したタイミング。今まで自分を犠牲にしてでも、家族のために働いてきたという自負があった。

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単身赴任も経験、趣味も後回しにして、あまり興味の持てない業務内容であっても、真摯に向かい合ってきた。「これからは、自分のために生きてもいいのかも」。次に何をするかも決めないまま、52歳で会社を辞めた。

いい大学、いい会社に入れば一生安泰という神話が崩れ始めた時期に、「個」の価値をはじめて意識したという人も多いだろう。白銀さんはタイミングを見計らい、そのレールを自ら降りた。自分の中の大部分を占めていた「会社員としての仕事」を手放して初めて、白銀さんは「自分だからできる」ものを得ることになる。

苦手だった「書く」を仕事に

会社を辞める少し前から、妻の勧めもあり、「自分を発信する」という意図でブログを始めた白銀さん。当初は、書くことに苦手意識があったほどだったが、ブログは分かりやすく気持ちが伝わるという評価を受けた。そこではじめて、自分は書くことが得意なのかもしれないと意識するようになったという。

ライティングゼミに参加し、毎週2000字の原稿を3ヵ月書き続けた。書くことが楽しいと感じるようになり、チャレンジした上級コースの試験にもパス。毎週5000字を6ヵ月間提出し続け、確かな文章である証となる「メディア掲載率」も85%を誇った。

失業手当の終了が迫り、再就職を考えたとき、今までの経験から「できる」職種はいくつもあるが、その中に「やりたい」と思えるものがないことに気づいた白銀さん。人に相談するなかで、文章だったら仕事として楽しめるかもしれないという思いを抱くようになり、会社に属するのではなく、フリーランスとして活動する道を選ぶことを決意する。

会社を辞めてから出会った友人のことを書いたこの記事に、本人が大変喜んでくれたことが、ライティングをしていきたい、人の物語を書いていきたい、と思う大きなきっかけとなったのだという。

「自分は社会からはみ出たものと思いつづけ、人に感動なんて与えることなんで一生ないだろうと思っていた。自分がやっていることが人に感動を与えているなんて初めて知った。書いてくれてありがとう」

友人からのこの言葉が、今の活動の原点だ、と白銀さんは語る。

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フリーランスという生き方

2021年初夏、友人であるSallyさんの紹介でスバキリ一味に飛び込んだ白銀さんは、安定した仕事ぶりで、始めた当初から時には週4本の取材をも任されるほどであった。スバキリ一味の仕事の他にも、所属するコミュニティのメンバー紹介の記事のための取材・執筆、電子書籍の校正など、仕事は着実に増えている。

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「個人事業主は、会社員のときのように業務内という枠がないから、どんどん広がっていける。仕事がなければ、じゃあどうやってつくろう?と思考が変わり始めているのを感じます。会社員のときほどの収入ではないけれど、不思議と食べるのには困っていませんね」。

ライティング担当として取材したクライアントにほれ込み、その後の付き合いが続くことがあるという白銀さんは、「縁」「つながり」を大切にする人だ。縁がつながり広がっていくフリーランスの面白さを日々感じているのだそう。

「経営寺子屋」のプロジェクトでは、取材後すぐに体験会の申し込みをし、入会したという。
https://camp-fire.jp/projects/view/492632

「先のことはあまり考えていません。その瞬間にやりたいと思うことができて、ほどほどに生活が回ったらいいと思います。今の縁を大切にして、そこから生まれる化学反応を楽しんでいきたいですね。」

1年前には、今の自分を全く想像できていなかったという白銀さんだが、今は「ちゃんと生まれ変わる方向に進んでいる」という実感があると力強い言葉で話す。

人生には、守るべきもののために尽くすことに注力する期間もあるだろう。

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しかし、「働かねばならない」から「働くことが面白い」状況に変えていくには、自分のために生きるという覚悟が必要だ。今までの道を「踏みはずし」、そこで起こるさまざまなことを楽しんでいる白銀さんの姿は、その覚悟が人生において意義のあることだと私たちに教えてくれる。

 

取材・執筆―石原智子