スバキリ一味メンバーが映っている写真のなかで、ちょっと目をひく猫の姿。
いけだぽぽさん。
スバキリ一味での役割は、果たして何になるだろう。
猫の姿だけにマスコット担当? それとも、造形担当アーティストとか??
ご本人に伺っても、
「うーん、一体何が当てはまるだろう? 自分的には、いまはクレイアートアーティストとは思うんですけど、一味がやっている仕事とはだいぶかけ離れていますよね」
と、ちょっと苦笑い。
でも最近、それが明確になった。
役割担当は、“パフォーマー”。
最近では、3月27日のスバキリ商店法人記念パーティで、終日猫になりきっていた。
近々公開される、子供たちの憧れのヒーロー(?)『スバキリマン』の動画では、敵役“猫魔神”として登場する。
しかし、猫となって活動していることだけが、ぽぽさんのパフォーマンスではない。
すでに経歴を見てお気づきの方もいるかもしれないが、ぽぽさんは、アーティストとして実にいろいろな“顔”を持っている。そこが、ぽぽさんがパフォーマーとしての本領を発揮しているところかもしれない。
そして、そのエネルギーの“源”は、ちょっと辛い過去にあった。
「あなたはできない子」と言われた日々
猫の“パフォーマー”、ぽぽさんがいま集中的に取り組んでいるのが、クレイアートという粘土造形によるアートだ。
粘土の原材料は樹脂によるものだが、実は、この原材料からこだわっている。
「“オリジナル作品”をうたうのであれば、その原材料からオリジナルでなければ気が済まない」というぽぽさん。樹脂粘土の成分表示をみて、自分で購入できる材料であれば取りそろえ、自分が納得のいく質感になるまで調合するという徹底ぶり。どのジャンルでもオリジナル作品を絶対とし、とことん「自分のこだわり」を貫いている。
ここまでの話を聞いたとき、こだわり抜く職人気質のような本格的アーテイスト、芸術家、といったイメージがすぐに頭に浮かんだ。さぞ幼い頃からアートの世界にどっぷりと浸かり込んで、美術・芸術などの専門学術を学んできたのだろうかと思いきや、アーティストとしての活動は29歳で結婚してからというから驚きだ。
「確かに、小さいころに洋服を作ってみたり、絵を描いてみたりしたかったんですけど、母親がそれを許してくれなかったんです」
“あんたはどうせ出来ない子なんだから”
それが小さいときから言われ続けてきた言葉だった。
父親は、一切そういったことは言わなかったが、なぜか母親だけは小さい頃からぽぽさんのやろうとすることを否定した。
「もう呪いのようでしたね(笑)」
母は、服飾デザイナーであり、専門学校の講師もしていた。
「当たり前のように、ミシンやらいろんなものがあったから、自然と私も服飾とか興味を持つようになりました。でも、母からはいつもその呪いの言葉をかけられ続け、興味を持った服づくりはさせてもらえなかったですし、自分自身も“私はできない子なんだ”っていう思いが刷り込まれていたところがありました」
決定的だったのは、大学進学のとき。
母親と同じように、服飾のデザインの道に進みたいと懇願したものの、「どうせ出来っこないんだから」と、いつものようにはねのけられ、その道を進むことを許してもらえなかった。
進んだ道は、社会福祉系の短期大学だった。
社会福祉であれば、ということで母から許されたのがこちらの道だった。自分の思いとはかけ離れていたが、母には逆らえなかった。
せめて就職は服飾の道を……、とはかなくも望みを持ったものの、福祉の短期大学にくる就職先に、服飾系の企業が求人してくることはなく、望む道はまったく見えてこなかった。
卒業後に就いたところは、財団法人大阪府こども会育成連合会という、主に子ども会活動に必要な指導者の養成する団体の事務職員だった。そこで、夏はキャンプ、国際交流、冬はスキー指導などを担当した。
「キャンプなどは結構本格的に活動していていましたよ。何もないところから火を起こせますし、食べられる雑草とかの区別も出来ます。たぶんサバイバルナイフがあれば、今でも多分そこそこのことできますよ(笑)」
「とくに木工のクラフトワークなんかは、もう大得意でしたね」
このときアーティストとしての活動はまだしていなかったが、子どもころから抑え込んでいた、“モノをつくり出したい”というエネルギーがここで少しずつ現れ始める。
そして、29歳で結婚。このとき、抑えこんでいたエネルギーが一気に噴出した。
”芸術は、爆発だ!!”
結婚を機に、これまでの続けていた仕事を辞めた。本格的キャンパーとなるぐらいまで、仕事に注ぎ込んでいたエネルギーは、抑え込んでいた“モノづくり”へと向かった。
「結婚と同時に、ミシンやアイロンといった服飾に関わるあらゆる道具を、すぐに買い揃えました」
いままでやりたくできなかった服飾のデザインや服づくりに没頭する。まず手掛けたのは人形の服作りだった。
そして、このときに、“いけだぽぽ”が誕生する。
「このときから、“ぽぽ”と名づけてそれ以降の活動の場のすべてにおいて“いけだぽぽ”を通しています。実を言うと、本名はあまり好きではないんです。親しい友人たちや身内の間柄では、本名を呼んだら罰金1000円を申し付けるぐらいです(笑)」
まるで生まれ変わることを意識するかのように”ぽぽ”と名乗り始め、リカちゃん人形の洋服を自らデザインし、制作することに夢中になっていった。
ちょうどこのとき、Yahooオークションが始まった頃でもあった。自らデザインし、制作したオリジナルのリカちゃん人形の洋服を1000円で出品した。これが、予想をはるかに上回った。
ついた価格は、なんと6000円。
あまりに予想外のことだったので、とても驚いた。
と、同時にあることが頭をよぎる。
「これは、そのまま商売になるのではないか? と思いましたね」
自分で考えたデザイン、製作したものが市場で評価される。これ以上の喜びはなかった。29年間抑えつけてきたエネルギーで作り上げたものが市場で評価されたことは、計り知れない起爆剤となった。
“いけだぽぽ” のさらなる快進撃が始まった。
それ以降というもの、ドール服の制作にさらに没頭していく。やがて、オークションへの出品だけでなく、ドール服を出品する展示会やイベントにも積極的に参加していく。東京であろうが、どこであろうが自ら足を運んでいった。
その活動はとどまることを知らず、どんどん広がっていく。
ドール服のネットショップ、さらには実店舗、ブランド『ippo〜』(いっぽから)の立上げ、モールアート……。
モールアートは、モールアート協会に入り、”モールアート・マスター”の資格まで取得した。
しかし、枠にとらわれず自分が納得いく作品をつくり込みたいという理由から、1年も待たずにその協会も辞める。目指すものは完全なるオリジナル作品。自分が思い描くその理想に、”なんか違う”と感じたものはためらうことなく手放していく。
「もう、興味を持ったもの、やりたい、と思ったものはなんでもやりました。29年間押さえ込んでいたものが、もう一気に爆発しましたね(笑)」
猫の姿も、まさにこのエネルギーの賜物だった。
「あの猫の顔って、実は口元がちゃんと動くんですよ。それを見たとき、“一体どうやってるんだろう??”って思ってしまって。そうしたら、もういてもたってもいられなくなって……」
制作者を探し、直接連絡してすぐに制作を依頼したという。
「全身はさすがにちょっと値が張ったので、顔と手と尻尾の制作を依頼しました(笑)」
これ以後、この猫の姿が、ぽぽさんのトレードマークとなる。いまでは、住んでいる大阪府池田市の戦隊(非公式)“イケダレンジャー”のイベントで、時としてサイコパス猫博士“Dr. POPO”として舞台に登場したり、イベントMCを依頼されたりと、年々とその認知度も上がってきている。
また、爆発したエネルギーは、アーティスト活動だけのものではなかった。健康のために始めた低糖質ダイエットが成功したことをきっかけに、知人と共に低糖質食材を使ったお店などを手がけるようにもなった。
そして、この低糖質ダイエットでの活動が、スバキリ一味との縁に繋がるきっかけとなったのだ。
実はクライアントでした!
「2020年2月に、この低糖質ダイエットに関するクラウドファンディングをやったのが、スバキリさんとの出会いなんですよ」
なんと、スバキリ一味との最初の接点は、何かしらのクリエイティブな役割を担う活動での参加ではなく、クラアイアントとしての関わりだった。スバキリ一味が、クラウドファンディング・プロデュース集団として立ち上がってからまだ間もないころで、ぽぽさんの案件は8件目だった。
このとき、ぽぽさんは地元池田市で知人と低糖質のお店をやりながら、その2階をアトリエとしてアーティスト活動をしていた。
「取材のとき、小西さんと、のましほさんがお店に来られ、そのとき2階のアトリエを案内したんです。ドール服から何やらと色々と並べていたので、その部屋の光景を見たお二人から“アーティストさんだったんですね!”と驚かれました(笑)」
その後、スバキリ一味でメンバー募集の話を聞き、興味があったのですぐに手を挙げ、一味に参加することになった。興味を持ったらやってみないと気がすまない、そしてすぐに行動する性分が見事に表れている。
最初のころは、ライティングをしたり一味としての通常の担当もやっていたが、人数が増えるとともに少し離れ、自分の活動に専念するようになっていった。
「だから、今は一味としてほとんど役割を果たしていないんですよね。あえて一味への功績があるとしたらイワシさんをスバキリさんに紹介したことぐらいかなぁ」
そんな流れがあったんだ!
ひょっとすると、一味のパーフォーマー担当という存在の基礎固めをしたのは、ぽぽさんかもしれない。
クラウドファンディング・プロジェクトを立ち上げることに直接関与しなくても、スバキリ一味を盛り上げる、という役割はとても大きい。
ぽぽさん、イワシさん、そしてノリさん。
パフォーマーの方々がいるからこそ、3月27日のスバパーといったイベントも盛り上がり、“スバキリマン”というヒーローまでが誕生した。こうしたパフォーマンスが、メンバーの楽しみ −まさに大人たちの楽しみ&スバキリ一味の福利厚生− という役割を担ってくれていることで、メンバー同士の距離は縮まっている。スバキリ一味がクラウドファンディング・プロジェクトをただ粛々とサポートするだけのクリエイティブ集団ではないということを、しっかりと物語っているのではないだろうか。
毎日が楽しくてしょうがない!〜進撃の猫魔神〜
2021年12月、ぽぽさんは仲間7人とともにYouTube動画の配信を始めた。
「Pochi Pochi」というクレイアート・キャラクターによるアニメーション動画だ。
自ら調合した粘土でつくりあげたキャラクターが、画面いっぱいに繰り広げていく。いままで月1回だった動画配信は、2022年6月から週1回配信へとペースを上げた。
「メンバーはまだ“有志”ですが、事業として成り立たたせて、きちんと報酬を払えるよう野望をいだいて取り組んでいます」
動画配信チームの名前は、“TEAM NEVERLAND”。
まさにスバキリ一味のような集団にしていきたい、と熱く語るぽぽさん。
近い将来、きっとこの思いを実現するだろう。
29歳のときに起こった自分の中での“ビッグ・バン”から、立ち止まることなく、ひたすら“やりたい”という自分の思いを大切にし、行動して、いまもなお自分の宇宙を拡散し続けているからだ。
ドール服のデザインから始まり、広げてきたさまざまな活動。
いまでは、ぽぽさんのファンと名乗る人たちもいる。
「この状況を知った母親が、『きちんと服飾のこと専門的に学んでいたら、あんたきっとすごいことになっていたんとちゃう?』とさらっと普通に言ったことがあったんですよ。そのとき、すかさず『それを止めたんはあんたやろーー!!!』って思いっきり言ってやりましたよ(爆)」
母親に対してこの言葉を思いっきりぶつけたことで、過去のわだかまりが一気に昇華されたというぽぽさん。もう怖いものは何もない。
「これ!」と思い立ったら、すぐ行動。それが楽しい。
「だから、もう何も気兼ねなく、やりたいことを思いっきりできる毎日がもう楽しくてしょうがないです」
大阪池田の“猫魔神”。
その企みと快進撃は、もう誰にも止められない。
Another story of “POPO”
”ぽぽ”の名前は、漫画『ドラゴンボール』に出てくる”ミスター・ポポ”に由来しているんです、とぽぽさんは教えてくれました。
ミスター・ポポとは、神様の一番弟子という役柄で登場しているキャラクター。
では、なぜその”ポポ”を選んだの?
「主人が、実は神主なんです。神主といえば神様の一番弟子ですから、これにあやかって”ポポ”と…。カタカナのままだと重なっちゃうので、ひらがなで”ぽぽ”にしました」
いまでこそ、自分がやりたいことをやる、と決めて存分に活動していますが、実は結婚してしばらくしてから、主婦業と自分のやりたいことの時間配分に悩み、心身を病んでしまったことがあったそうです。
それを救ったのが、ご主人でした。
『何も気兼ねなく、本当に君の好きなことをとことんやったらいいんだよ』
このひと言があったから、いまがあるといっても過言ではない、とぽぽさんはおっしゃいます。
ぽぽさんの事を受け止めて、よりぽぽさんらしく生きるきっかけを作ってくれた神様が、ちゃんとそばにいらっしゃいました💓
取材・執筆:白銀肇