「自分と共に生きる」〜インドの伝統医学アーユルヴェーダと出会い得られた人生の豊さ〜

メンバー紹介

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「長年の不摂生による身体の不調に悩んでいるものの、忙しい日々の中でケアできていない」というあなたに知っていただきたいのが、インドの伝統医学アーユルヴェーダと、そのセラピストとして活動しているスミヨシマチコさんの存在である。

 

注目すべきはその人生の根本にある「自分と共に生きる」という価値観だ。

明るい笑顔とハツラツとした声のトーンからも、心の豊かさと高いエネルギーが伝わってきて、つられて自然と笑顔になってしまう。

とはいえ、人の人生には陽があれば陰があるもの。

眩しい陽のエネルギーの裏には、深い陰もあったのではないかと思い、ズバッと「自分と共に生きることを大切にされているということは、過去に自分とうまく向き合えずに苦労した経験もあるということですか?」と質問をしてみた。

「あります(笑)5000年前から続くインドの伝統医学アーユルヴェーダを学ぶまでは、収入やステータス、承認などの表面的な幸せに引っ張られて自分の心を置き去りにしていたこともありましたね」とマチコさんは言う。

どのようにして、本質的な自分の幸せや豊さを知ることができたのか?そこに辿り着くまでのマチコさんの人生の紆余曲折のお話を聞かせていただいた。

自立心と探究心が磨かれた学生時代

マチコさんの人柄を3つのキーワードで表すのなら、

【自立】

【探究】

「私はどう生きるのか?」という【哲学】

である。

 

過去の経歴を見ても、

・テレビ番組制作会社でゴールデンタイムの番組を制作
・インドにてアーユルヴェーダを学び、サロンを経営

とかなりの異色の人物であることをわかっていただけるはずだ。

果たして学生時代から「異色」だったのであろうか?

「小学生の頃からもうすでに、我が強い性格でした。例えば、不思議だと思ったことについては親に、なんで??なんで??と質問をしていました」

しかし、テキトーな返事をされたことで「私は親から可愛がられてないんだ!」と不信感が募っていったという。ご両親とは、マチコさんとは逆の性格で物事の探究をする会話ができなかったのだ。

そういった家庭環境の中で中学生になり、陰うつに過ごしていたところ、テレビに映るひょうきん族やドリフがおもしろかったという。

「こんなテレビ番組を制作したい!と興味を持つようになりましたね。テレビ業界で働けば親から自立もできる。子どもの頃からスーツを着て働く仕事にはつかないと決めてました」とマチコさんは言う。

我が強い性格と言うが、マチコさんは柔軟性も持ち合わせていた。最初からテレビ業界に進むことありきというわけではなく、高校生になってからはアルバイトを職業体験に見立て、パン屋、喫茶店などの飲食店で働いたり、日雇い労働もおこなっていったのだ。

「自ら視野を狭めなくてもいいなって。やってみようと思ったことはやってきたと思います」

テレビ業界で就職するためには東京六大学を出ていた方が有利になると思い、早稲田大学二文に進学した。夜間の学部を選んだのは、昼間にバイトができるからだ。

「大学時代に最も記憶に残っているのは、東京の四谷にある“とある大手企業”で事務員として働いたことです。当時のパソコンはまだWindowsも導入されていなくて、黒い画面にタグを打ち込むものでした。説明書を読み込んでエクセル表を作って給与計算ができるようにシステムを作ってました」

こういった探究心からの経験値の積み上げが、就職後にも役に立つことになる。

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マチコさんは大学卒業後、希望通り日テレ系のゴールデン番組を制作するテレビ番組制作会社に就職した。当時、社内にはパソコンを触れる人は少なかった。なので、ワープロはもちろんパソコンも扱えることで、先輩の原稿を打ち直したり、企画書を清書したりという仕事を任せてもらえたのである。

「学生時代から自分で決めたことを達成していくことで、自信がついた」とマチコさんは言う。

マチコさんの生き方の特徴として、

「他人に人生の主導権を握られないようにする」

というものがある。

「テレビ局に入社したら経理の部署の担当になるかもしれなかったんです。制作がしたかったので番組制作会社を選びました。女性のディレクターもいて裁量を得られることも良いなぁと思えたんです」

「成功」の中の欠乏感

テレビ番組制作会社に入社した後も、番組制作への探究心は凄まじい。1日の睡眠時間は2〜3時間。気づけば2週間家には帰っていない生活でも辛くはなかったという。

「20代の頃は、先輩が動画編集をしているところや台本構成をされているの横で見て、自分に足りない知識、経験をどんどん取り入れていきました

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「テレビ局から番組へいただける報奨金で、スタッフみんなでグアムやサイパン旅行へも行かせてもらったんです。その時に実はアーユルヴェーダのスパにも行っていたんですけど、そのことはずっと忘れていました」とマチコさんは言う。

 

休息無しで働き続け、30歳でスタジオディレクターになり、ますます仕事は順調に。

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学生時代は尾崎豊を聞いていたが、社会人になってからはミッシェルガンエレファントにハマった。

ミッシェル

「ミュージシャンとして、人としてどうあるか」

命を削っているかのような、狂気じみた勢いと熱量の歌と演奏が、実は葛藤するマチコさんの心の支えだった。多忙な中でも、追っかけをしていたが、33歳の時にミッシェルガンエレファントは解散してしまう。

オフの楽しみを無くし、モチベーションが低下。目の前の仕事をおこなっていくうちに年月は流れた。

 

そして35歳になったぐらいから、身体がグッタリとし、首や背中の痛み、ひどいむくみ、肌荒れ、便秘や下痢を繰り返すようになったのだ。これまでの長年の不摂生の蓄積である。

「なんとかして体質改善をしたくて、あらゆるサロンを渡り歩き、施術を受けました。お金を払うからなんとかして!って感じでしたね・・・そうしてついに38歳の頃にアーユルヴェーダに出会うことになります」

会社を辞めて南インドのケララ州へ

「40代を前にしたある日、社会人になってからの17年間の不摂生でできた体質の改善を根本的にしたいと思ったんです。半年ほど食事改善をしたんですけどうまくいかなくて・・・アーユルヴェーダの本場のインドで受けられる治療がどんなものなのかを学びたかったんです。日本国内のサロンはまだまだリラクゼーションの域を超えていなかったので」とマチコさんは言う。

こうして、テレビ番組制作の会社を退職し、南インドのケララ州へ渡ることを決意した。

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なぜ南インドを選んだのかというと、薬草が育ちやすくアーユルヴェーダも盛んだったからだ。現地ではアーユルヴェーダは病院でおこなわれており、医師が向き合ってくれた。

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「1週間のお試しコースの施術を受けたんです。3日施術を受けた後、とにかく身体が動かしやすくなったんです!毛穴にオイルが浸透して、汚れた体内の油を落としてくれるものなんですけど、癒しだけで終わるものではなかったんです!施術してくれた人の爪がささくれがあったんですけど、これなら自分にもできるんじゃないかと思えたことも大きかったです(笑)」

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日本に帰国後、アーユルヴェーダのサロンをスタート。実際に施術をしてみると、「わかったつもり」の部分がまだまだあることに気づいた。

持ち前の探究心により、日本のアーユルヴェーダの医師や、インドから日本に来られた医師から学び、実践しながら経験値を高めていったのだ。

「仏教を開祖の釈迦として知られているゴータマ・シッダールタの専属医もアーユルヴェーダをおこなっていたことがわかっているんです。つまり、世界最古の医学であることや古代インドの歴史とあわせて学んでいくと止まらなくなりました(笑)」

 

アーユルヴェーダは、身体の不調の治療はもちろんだが、

「幸せとは何か?」
「命はどうして生まれるのか?」
「自分を知り、どう生きるのか?」

という哲学的な問いもあったことが良かった。

マチコさんはこの時に、人から認められたい気持ちや、社会的評価を得るために、自分自身の心の声を置き去りにしていることに気づいたのだ。

「アーユルヴェーダを理解して過去をふり返ると、ああ、そうだったのか~!と納得できました。表面上の収入や職業のステータスを重視する生き方や幸せを否定するつもりはないんです。私の両親のように狭い価値観・コミュニティで生きながらも慎ましく暮らすことも悪くない。生き方には間違いはないんですよね。どう生きることが私の人生にとって豊かなのかとか、本当の私の幸せってなんだろうと考えるようになりました」

番組制作を行われていたこともあり、マチコさんの話はわかりやすい。哲学や歴史、聞いたことのない横文字だと敬遠されがちなテーマでも、つい聞き入ってしまう。

マチコさんが人に何かを伝える時に大切にされているのは、自分自身が経験した感動をお伝えすることだ。

「お客様の施術をさせていただくと、身体が軽くなったり目が開くようになるんです。発汗するので顔色も良くなっていく。あと、声のトーンも明るくなっていくのが嬉しいです。やっぱり身体の辛さはメンタルにも響きますからね。その辛さを取り除かないと自分を知るとか、どう生きるのかっていう話にならないですから(笑)

マチコさんはエネルギーが高く、謙虚。

決して「こうしないとダメ!」と押し付けるのではなく、

「アーユルヴェーダの教えではこうだったりするんですよ」
「自分なりの幸せの形もあると思いませんか?」

と優しく語りかけ、わかち合おうとしてくれる。

伝えたいことをコンパクトにまとめる編集力

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マチコさんは、アーユルヴェーダセラピストとして施術もおこなっているが、テレビ番組制作をおこなっていた経験からスバキリ一味では動画制作チームに所属している。

加入に至ったキッカケは、一味のメンバーのおととごとさんの【うみハマ】のオンライン講演会の台本やPR動画を制作していたことだという。

「世界まる見え!テレビ特捜部は、世界のテレビ番組をコンパクトにVTRにまとめて紹介する番組だったんです。おもしろいところ・大切なところを逃さず抽出することが得意になりました。小西さんやクラウドファンディングのプロジェクトオーナーが一番伝えたいことが伝わるように活動したいです」とマチコさんは言う。

スバキリマンの撮影をおこなうためのと初稿プロットを確認したところ、ヒーローものとしてはおもしろかった。

しかし、せっかく作るのなら、小西さんのキャラクターやスバキリ一味の活動が伝わる方が良いと思ったことや「クラウドファンディング」のテーマを絡ませ、台本制作をし直したのである。

マチコさんが制作した台本を読んだ小西さんは、「マチコさんに制作いただいた台本がある方が、流れがわかるし、撮影しやすいですね!」とお礼を言ったそうだ。

クラウドファンディングのプロジェクトオーナーの方の中には、「自分自身の活動や想いを客観視することが難しい」と悩まれている方もいる。

マチコさんも以前、ご友人がクラウドファンディングをスタートする際にカウントダウンライブ配信をおこなった時に台本制作と司会進行をおこなった時にとても喜んでもらえたそうだ。しかも配信時間も台本通りピッタリ終了したという。

動画の撮影や編集ができる人は増えているが、台本制作や演出、司会進行を担当できるマチコさんが一味の仲間になった意義はとても大きい。

因果応報という精神

2022年8月現在。小西さんがスバキリ一味の福利厚生の一環として、大阪市内の平野に「商売農場」という事務所を作ろうとしている。

「管理人としてカギを預かり、一味のメンバーの仕事の可能性を広げようとしています。例えば、私もカラダいたわり堂という施術をさせていただきますし、同じように対面でサービスをおこなうメンバーさんの活躍につながれば楽しそうですね」とマチコさんは言う。

また、事務所にはキッチンの導入も進められているという。

スバキリ一味メンバーのもなみんもスムージーを提供しているし、マチコさんもアーユルヴェーダのお菓子やドリンクを提供できる。今後の展開が楽しみだ。

「スバキリ一味に入ってから感じた一味の良いところは、小西さんがポンコツでも回るところ。見えないところでメンバーが頼り合い、助け合っている。困っている人がいたらフォローしている人がいることに感動しています。そんなメンバーのみなさんと、お会いできるのを楽しみにしています!

 

アーユルヴェーダの教えの中に、因果応報という教えがある。

マチコさんは人生の節目節目で、望む「結果・ご縁」があれば、それを得るための「因縁(いんねん)」を作ってきた。

例えば、大学生の時のアルバイトでパソコンの説明書を読み解き、操作できるようになっていたから、テレビ番組制作のナレーション原稿もワープロで打てるようになった。

体質改善のためにあらゆる施術を経験してきたからこそ、アーユルヴェーダを知り、インドに渡って学ぶようになった。

テレビ番組制作の経験があるから、今、スバキリ一味の動画制作チームにも所属している。

実は、スバキリ一味の事務所にキッチンを作ってお菓子を提供しようとなると、菓子製造業の申請を保健所にすることになるのだが、以前東京でアーユルヴェーダカフェをオープンしようとしていた時も、菓子製造業の申請を保健所におこなっていた経験が活きているのだという。

目の前にあること、目の前にいる人に意識を向けて「今」を楽しんで生きること。それこそが、人との出会いや出来事などの「ご縁」を実らせているのだ。

そのためのエネルギーの源泉は、「自分と共に生きること」を絶えず大切にされていることなのだろう。マチコさんはこれからも、我が道を進みながらも、関わる人にエネルギーを与え続けてくれるに違いない。

過去のマチコさんと同じように体質改善に悩まれている場合は、ぜひ気軽に相談することをお勧めしたい。

執筆:水樹ハル