2022年4月。
小紫祐さんに、新たな仕事がひとつ増えた。
宝塚市立「宝塚自然の家」の施設長という仕事だ。
病気や年齢により、体が動かしづらくなった高齢者を対象とした訪問マッサージ事業、スバキリ一味のミギー&リターン担当、そして宝塚自然の家施設長。
小紫さんには、いまこの3つの顔がある。
あれもこれも、という感じで、とても慌ただしいのではないか、とつい思ってしまうが小紫さんが口にした言葉は、「いま、とても楽しい」だった。
なぜなら、すべて自分の思い通りになっているからだ。
自分がやりたいことをする、やりたくないこと、納得いかないことはしない。
これが小紫さんの基準。
今まで生きてきた岐路において、すべてこの基準で進み行きついてきている「今」。だから、小紫さんには常に「楽しい今」が上書きされつづけている。
周りに合わせるような妥協はしない
「とにかくサッカーが好きで、このままやり続けてサッカー選手になろうかな、という感じで続けていました」
小学校から一貫して高校を卒業するまで、ずっとサッカーをしてきた小紫さん。
しかし、高校卒業が近づくにつれ、進路を真剣に考えたとき、その思いは遠いものであったことを自覚する。
これから先、どこに進むか?
それまであまり深く進路のことを考えていなかったが、その問題を突きつけられる。周りのほとんどは大学への進学。でも、小紫さんのなかにずっとひとつの疑問があった。
「何をしに大学へ行くのか?」
自分自身が大学へ何をしに行くのか、何を学びたいのか、わからなかった。どんな大学があるかを調べても、自分が心底からやりたいと思えるものは見つからない。自分のなかで大学へ行く意味がまったく感じられなかった。
「やりたいことがないのにとりあえず大学に行く、ということを聞くと『なんで?』って思っていました。目的がはっきりしない大学に行くために受験勉強をするのって、とうてい無理でしたね」
やりたい目的がないのに、「とにかく大学へ行っておこう」的な発想は、小紫さんにはなかった。
でも、これから先のことは決めていかなくてはならない。
自分のやりたいことはなにか? でてきた答えは「ものをつくるのが好き」。そこから、デザイン全般を学ぶ専門学校を次の道として選ぶ。
「でも、ほとんどの時間をアルバイトしていました」
アルバイト先はちょっと古めのコンビニエンスストア。
コンビニエンスストアがある土地柄のせいからか、お客様はご高齢の方が多かった。買い物に来るお年寄りが、荷物を持ち帰るのに往生していると「あとでご自宅まで運びますよ」といっては、オーナーや小紫さんが運ぶ。
ちょっと変わったコンビニエンスストアだった。
「でも、このオーナーさんが、ものすごくいい方で。しかも、ビジネスのほうもしっかり考えておられて、事業はひとつだけはなく複数やっておくべき、という発想の方でした」
学校へ行くよりも、尊敬するオーナーとともにここで働いている方が楽しいと感じていた。
そのオーナーが、買ったものを自宅に届けるということをヒントに「訪問マッサージ」の事業を立ち上げる。もちろん、そのビジネスノウハウを持ち合わせていなかったので、フランチャイズとしてのスタートだった。
小紫さんも、この事業に魅力を感じ参加する。
このとき専門学校はすでに卒業し、会社勤めをせずにこのコンビニエンスストアで働いていた。
会社勤めしなかった理由はいたって簡単。自分がここの仕事をやってみたい、と思える企業が見つからなかったからだ。高校卒業するときと同じだった。
「働くことは必要だとは思うけど、だからといって稼ぐためにやりたいと思えない企業に向かって『御社の理念に惹かれて、ぜひ』なんて言葉を面接で言うなんて、うそくさくて僕にはとてもできませんでした」
しかも、その企業にどんな人間がいるかもわからない。やりたいことも見つからず、わけのわからない会社で自分が長続きするとも思えない。それにひとつの会社に縛られてしまうことにも違和感があった。
それだったら、人柄もビジネス面でも尊敬できるオーナーさんのもとで一緒に働きたいと思い、学校を卒業してもそのままコンビニエンスストアで働きつづけていくことを選んだ。
「このときは、コンビニエンスストア事業で順調でして、2店舗に拡張もしました。そのうちの1店舗を任されるようになって、コンビニエンスストアの店長と訪問マッサージの二つの仕事をするようになりました」
人と関わり合い、地域に根づいていきたい
訪問マッサージの事業とは、視覚障害があるマッサージ師さんと共に、病気やけがで体が動かしづらくなった高齢者のご自宅に直接訪問していくというもの。小紫さんの仕事は、訪問先を決め、マッサージ師さんの足となり車を運転し訪問先をまわり、国への保険申請や帳票作成といった手続きなどの事務全般を担う。
この仕事を通じて、人に関わること、地域に根づいた仕事への関心を深めていく小紫さんは、任意団体宝塚にしたに里山ラボへの参加し、地域活性化への活動も始める。
兵庫県宝塚市といえば、宝塚歌劇の街としても名をはせ、ハイエンドな住宅街のイメージを持っている人が多いのではないだろうか。しかし、宝塚市といってもその範囲は広く、限界集落となりかけている地区もある。その一つが西谷地区だ。
この西谷地区で、過疎化が進み休所中であった自然の家をリニューアルオープンしようという動きがあり、任意団体としてできるイベントを企画、開催し協力をしていく活動を手掛ける。
助成金を使って小冊子を発行するなど、その活動は本格的だった。いつかは、この地域活性化も仕事のひとつとして成り立たせたい。そう思いつつ活動に力を入れていった。
2019年、そんな里山ラボの活動が、ひとつの形で評価された。
兵庫県知事より賞を授かったのだ。
賞の名前は「第21回人間まちづくり賞 まちづくり活動部門 知事賞」。
小紫さんたちが、いかに地域に貢献する活動をしていたかがうかがえる。
こうした地域での活動を活発にしていくなか、自身の仕事にも変化があった。
コンビニエンスオーナーから訪問マッサージの事業を譲り受け、独立を果たしたのだ。しかも、依頼件数もそれなりに増え、自分の裁量でもやりくりできるめどが感じられたことからフランチャイズもやめた。
コンビニエンスストア店長は続けていたが、個人事業主となった小紫さんは、コミュニティビジネスのことやお金に関する勉強をしようとオンラインサロンといったコミュニティにも参加していく。
そのなかで出会ったのが小西光治さんだ。小西さんが主催する「お金のお料理教室」に参加し始めたことが、スバキリ一味への参加へきっかけとなる。
小紫さんがスバキリ一味へ参加したのは2021年。
奥さんが、3人目の子どもさんを妊娠した。そして、このとき小紫さんはコンビニエンス店長を辞めた。理由は、子育てに関わる時間を増やすためだった。
「人との関わりを大切にしたい」という思いは、当然ながら家族に対してもまた同じ。小紫さんの家族を大切にする気持ちはしっかりと伝わってくる。
仕事で家を不在にする時間をなくそうとしていた小紫さんの思いではありながらも、案件が急増し人手を増やそうとしていたスバキリ一味との方向性が見事に噛み合うことになる。
スバキリの仕事であれば、自由な場所と時間で仕事ができる。
そう思った小紫さんは、一味に関わっていくことになる。
デザイン学校を卒業していたこともあり、加入時の担当はサムネイル制作。そこから、スバキリメンバーの増加とともに、ミギー担当、申請担当、と自らの役割も広がっていく。
そして、この2022年4月より、宝塚にしたに里山ラボの活動がひとつの仕事となった。宝塚市から自然の家の運営を任され、小紫さんが施設長の就くこととなったのだ。
これに先立って、任意団体「宝塚にしたに里山ラボ」も前年には一般社団法人へと姿を変えた。
ゆっくりと、周りの景色を楽しみながら進むのが自分流
「たとえば、月に30万円を稼ぐことを目標としたとき、仕事がひとつだけだと、競合に勝つために戦略を練ったり手をかけたり、ものすごく労力かかりますよね。そうやって30万を稼ぐことに集中するあまり、少数の需要を取りこぼしている気がするんですよね。それだったら、10万円でもいいから、少数の需要にしっかりと応えたい、という考え方です。それが3つあれば、30万円になるじゃないですか」
企業においても、経営の方針として複数の事業を持ってその営みとすることは、定石でもある。しかし、小紫さんの言葉に、そのような堅く重苦しいエネルギーはない。
「高速道路で早く目的地に着こうとするがあまり、それまでのいい景色を見落としていってしまうようで、もったいないんですよね。そこにもちゃんとビジネスチャンスがあると思うんです」
仕事や、ビジネスとなると、つい効率化する方向へと目が向いてしまう。
そこではなく、自分が何をしたいのか、どのようにしたら自分の居心地がいいのか、そこからでも生まれてくるビジネスはしっかりとある。小紫さんの仕事観に対するこの言葉は、これからのビジネスの「在り方」として、ひとつの方向性を指し示しているようにも聞こえる。
何をしにいくかわからずに、ただ周りの動きに同調して大学や会社を選ぶことをせず、自分が尊敬できる人とともに事業を進め、人や地域との関わることが生きやすい道だと感じ、その道を進んできた。
これまで自分のペースで来た結果、思う通りの生き方を進んでいる。
「だから、昔はよかったな、と思ったことがないんですよね。今この瞬間が一番楽しい、ということがずっと続いています」
小紫さんに、「あの時はよかった」といったような懐古的な振り返りは一切ない。
自分が「生きやすい」と思う社会を目指す
小紫さんが、次に目指しているものは多世代コミュニティ。
「それぞれの世代ができることを持ち寄って助け合う社会になれば、みんなが普通に暮らしやすく、生きやすくなると思うんですよね」
子育て世代、シニア世代などといった世代別でのコミュニティが、ここ近年では増えてきている。しかし、同世代の集まりであるがゆえに、解決できず問題が残ってしまうケースもある。
価値観や経験値が違う世代が、交流し合うことで、新しい発見、思いつかなかった解決策など見つかる可能性だって十分にある。
そこで目をつけたのが、モルックだ。
ボウリングのように木製のピンを並べて、少し離れたところから同じように木の棒を放り投げてピンを倒し点数を競いあうフィンランド発祥のアウトドアスポーツ。
訪問マッサージで体が思うように動かせなくなったお年寄りを見てきた小紫さん。
「手軽なものでも継続的に体を動かしていれば、寝たきりになることも減らすことができるのではないかと思った」
そのような思いと、シンプルなルールのモルックは、子どもからお年寄りまで幅広く誰もが楽しめ、まさに多世代コミュニケーションを図るにはもってこいと感じた。
モルックを通して地域や多世代交流を図る活動のひとつとして、昨年はクラウドファンディングにも挑戦し、プロジェクトの目標金額を達成する。今年は、宝塚自然の家でモルックを使ったイベントを積極的に企画、開催していく予定だ。
昨年、3人目の子どもさんも生まれた。
3人目とはいえ、育児はやはりなかなか大変。ちょっと行き詰まったり、思い悩んだりすると、子育てを経験し終えた世代からもアドバイスがほしくなったりすることもある、という。
世代を越えた人たちがともに暮らしやすくなる街、社会を目指して、今まで通り誰にも何にもとらわれず、自分の納得いくことをしていく。
そうして、小紫さんの「楽しい今」は、これからも上書きされつづけられる。
その姿がこれからの生き方のひとつでもあることを、小紫パパは3人の子どもたちにその背中をしっかり見せていくのだろう。
取材・執筆:白銀肇