「私、すごく人見知りなんです……」
はにかみながらそう話すさちよさんは、おだやかでゆったりとした雰囲気をまとっている。控え目で、おとなしい人。スバキリ一味で出会わなければ、そんな風にさちよさんのことを「誤解」してしまったかもしれない。
いや、誤解というのは少し違う。おっとりした部分もさちよさんの個性なのは間違いないけれど、あくまで「ほんの一部」。やさしそうな微笑みの中に、ふつふつと湧き出て絶えることのない、熱いエネルギーがみなぎっている。
製造メーカーでクレーム分析を20年
2022年6月現在、さちよさんは、フリーランスのイラストレーターとして活動している。
昨年は友人と共に絵本も出版。順調に絵のキャリアを積んできたのだろうと想像していたが、「3年前まではイラストとは無関係の仕事をしていた」という異色の経歴の持ち主だった。
新卒から20年間、手袋製造メーカーで働いていたさちよさん。担当していたのは、品質保証、品質管理の分野。クレーム分析から不備の原因などを突き止め、改善提案をするのが主な仕事だ。様々な調査やデータ集計を行い、結果をわかりやすく視覚化して整理することを得意としていた。
「とにかく仕事が好きだった」というさちよさん。彼女には、中学3年生と小学校6年生の2人の娘がいるが、出産時は迷わず産休、育休を取得。育児をしながら仕事を続ける道を選択した。
クラウドファンディングで絵本を出版
勤続20年、仕事も会社も大好きだったさちよさんの人生は、2019年を節目に大きく変わっていく。会社を退職し、絵本出版のためのクラウドファンディングに挑んだのがこの年だ。
下記がその時のクラウドファンディングページ。
「クラウドファンディングをやろうという話になった時、まだ私は会社員で、独学で絵を描いていた頃でした。一緒に絵本を制作した世良田ひとみさんは、子育ての経験を活かした親子教室や講演などをしている方。私はFacebookで彼女を見かけて、「この人保育園で見たことある! 」と思って。同じ保育園に子どもをあずけていたんですね。それで、次に会った時は話しかけていました(笑)」
この時ばかりは、さちよさんの「人見知り」も吹っ飛んでしまったようだ。「何かピンとくるものがあって」話してみたくなったそうだ。
その後、いろいろなことを話して意気投合。そしてある時、ひとみさんの話した内容をさちよさんがイラストを使って再現。
後日「あれってこういう意味やんね? 」と言って渡したのだそう。ひとみさんはその絵を大絶賛! すぐに「絵本にしてもっとたくさんの人に伝えよう」となり、あれよあれよという間にクラウドファンディングをすることが決まった。
「人の話を聞いて、イラストを使ってわかりやすく可視化する」というこの作業、さちよさんにとっては仕事でよくやっていることだった。イラストこそ使わないが、数字やデータを駆使して同じことをするのがさちよさんの業務。それまで趣味で描き続けてきたイラストと、仕事で行ってきた内容がピタリと重なった瞬間だった。
2019年冬に実施したクラウドファンディングは、400人以上から、目標額を大きく上回る227万5,500円を集め、大成功となった。
長女の病気、そして退職
ちょうど同じ時期に、さちよさんは会社を退職している。しかしそれには、絵本制作とは別の理由があった。長女が「起立性調整障害」という病気になり、学校に行けなくなってしまったのだ。
「起立性調整障害」とは、自律神経の働きが悪くなり、立ち上がったときに身体や脳への血流が低下する病気だ。小学校高学年から中学生に多く、朝なかなか起きられない、全身に倦怠感がある、などの症状が起こるため、不登校になりがちだという。
自律神経を自分でコントロールすることはできない。だから、本人が頑張ればどうにかなる、という問題ではない。しかし、診断までの1ヶ月弱ほどの期間に、長女はひどく自分を責めてしまっていた。
無理に学校に行かなくてもいい、と周囲は伝えたが、それまで学校が大好きだったこともあり、何とか登校しようとする。しかし、学校の前まで行っても、校門をくぐることできない……。さちよさんも仕事を毎日は休めないので、娘を家に残して出勤する日もあった。
「ある日私が仕事から帰宅すると、玄関に靴がなくて、娘がいないんです。慌てて探しに行ったら、近所の車通りが多い道をふらふらと歩いていました。その時は『自分はダメだから、もう死のう』と思っていたようです」
その後帰宅して長女と話すと、「お母さん、助けて。一緒にいて」と泣きながら口にした。その一言で、さちよさんの心は決まる。
長女の不登校が始まってわずか3週間、会社に退職の意志を伝えた。子どもたちは、さちよさんにとって何にも代え難い存在。そして今、長女が自分を必要としている。仕事は大好きだったが、迷いはなかった。
こうして仕事を辞め、長女に寄り添う生活が始まった。幸い学校の先生達も熱心で、少しずつ時間をかけて回復していった。
そしてこの期間に、絵本作家志望者のための「絵話塾(かいわじゅく)」に週に1回ほど通い、絵本制作の準備を進めていった。
ライブ配信で絵本を制作
2019年冬、クラウドファンディングを無事達成したさちよさんだったが、その直後からコロナの流行が拡大しはじめる。厳しく行動が制限され、打ち合わせもなかなかできない。絵本製作の準備は遅々として進まなかった。
けれど、ただ指をくわえて待っているわけにはいかない。クラウドファンディングで応援してくれた人のためにも、何とか絵本作りを進めなければ! そうしてたどり着いたのが、アプリを使った「ライブ配信」での絵本制作だった。
「絵を描いている手元を映して説明しながら、毎日絵本を作っている様子を配信しました。うれしいことに、続けるうちに配信を見てくれ人が増えて、一緒に絵本の完成を楽しみに待ってくれるようになったんです! 」
ライブ配信をしたことにより、着実に新しいファンが増えたという。そして2021年6月、「わたしのエモちゃん」は無事出版された。
夢を叶える「静かな強さ」
絵本を出版するのが学生時代からの夢だった、というさちよさん。幼少期から絵を描くのが大好きで、中学生になるとコミックマーケットでイラストや漫画を販売し始める。
社会人になってからも、仕事から帰宅すると夜な夜な絵を描いた。そしてその習慣は、結婚して子どもが産まれてからも変わることはなかった。数年前からは、イベントなどで自作の絵本を販売していたそうだ。
こんな風に説明すると、さちよさんの人生は「好きなことを続けていたら、運よく夢が叶った」シンデレラストーリーに思えるかもしれない。
しかし、ワーキングマザーが仕事以外で自己実現する大変さは、そんな生半可なものではない。筆者にも経験があるが、仕事と育児でほとんどの時間が“消えて”しまう。取り組めるのはごくわずか。もっとやりたいとついつい睡眠を削ってしまい、体力も消耗してく。
そして徐々に、こんなことをして本当に意味があるのか……、結局自分は夢を実現するなんて無理なんだ……、こうした気持ちに支配されてしまう。最後は続けること自体がつらくなってしまうのだ。
さちよさんにも、こうした葛藤はあったのだろうか?
「私も、苦しんだ時がありました。絵を描くこと自体は苦になりませんでしたが、それを表に出して、“イラストレーター”として活動してはいけないと思っていたんです。実はずっと個展をしたかったんですが、美大にも行っていないし、きちんと絵を学んでいないのだから、個展なんてしちゃいけない、自分には無理だって思い込んでいて」
さちよさんは4人兄弟の長女。家計に余裕もなく、美大に行きたいと言い出せる環境ではなかった。高校卒業後は、家計を助けるためすぐに就職した。だから、親がやりたいことをやらせてくれる人、美大に行かせてくれる人が羨ましくて仕方なかったという。
「社会人になってからも、心の中ではずっと羨んでいたんですよね。でも、そんな自分がすごく嫌で。だからある時、『そんなことばかり思っていないで、自分にもやりたいことやらせてあげよう! 』と気持ちを切り替えたんです。
それで、思い切って自分の好きな作家さんの個展に行ったときに、私もいつか個展をやってみたいと話したら、その作家さんは、今すぐ会場を予約したらいいよ、って。会場を予約して絵を飾ったら、誰でも個展はできるって教えてくれました(笑) 」
その数日後には会場を予約。そして同じ頃、SNSで「個展をやってみたい」とつぶやいたら、なんと友人が個展を開けるカフェを手配してくれた。こうして、初めてにもかかわらず、2カ月の間に2回の個展を開催。それが2018年のことだ。そこから次々と活動がつながっていった。
自分の好きなことを手放さず、やり続けるためには、迷いや葛藤、自問自答する時期を避けて通ることはできないのだと思う。さちよさんはその悶々とした気持ちに日々向き合い、逃げずに自分自身で答えを出した。だからこそ、イラストレーターへの道が拓けたのだろう。
自分自身に向き合い続ける「静かな強さ」が、さちよさんには確かにある。
「ここぞ」を見逃さない
2021年の絵本完成を機に、さちよさんはフリーランスのイラストレーターの仕事を本格的にスタートした。
それから間もなく、スバキリ一味にも参加。小西さんがFacebookでメンバー募集しているのを見かけ、自ら手を挙げた。さちよさんの仕事はリターン画像作成が中心だが、サムネイルを担当することもある。
「スバキリ一味に入って、本当に楽しく仕事をさせてもらっています! みなさんと一緒にお仕事できることがすごくうれしいです。いろいろなスキルを持った人が、みんなで一つのものを作っていく雰囲気が好きなんです。
それに、私はイラストだけでデザインの経験はあまりなかったので、リターン画像の作成はとても勉強になります。イラストレーターとしての他の仕事にも活かすことができて、感謝しています」
実は、さちよさんが小西さんと知り合ったのは、5年ほど前。姫路の「スナックキャンディ」で偶然見かけ、声をかけた。「まるで芸能人に話しかけるような気持ち」だったという(笑)
冒頭にも紹介したが、さちよさんは自らを「人見知り」と話す。会合のような場所でも基本的に黙っているし、頑張って異業種交流会に出ても、逃げるように帰ってきてしまうしほどだ。
しかし、「この人は」という時には必ず自分から話しかけ、関係を築いていく。そしてそれが、さちよさんの人生を大きく前に進めていく。
いや、「人」だけではない。ものごとを決断するタイミングもそう。「ここぞ! 」という時を決して見逃さない。クラウドファンディングの実施も、退職も……。長女の病気の時にした「会社を辞める」という選択は、大切な人を守るだけでなく、自身の新しい仕事をも引き寄せたのかもしれない。
それは、自分にとって「本当に大切なもの」がわかっている人にしかできない判断だ。そして何より、強くなければ、日常に埋もれがちな「大切なもの」に気づくことはできない。
さちよさんを貫くのはやはり、「静かな強さ」。
その強さが、これからも彼女を「行きたい場所」に導いてくれるに違いない。「お菓子のパッケージのイラストが描きたい」という新しく生まれた夢も、さちよさんならきっと叶えられると確信している。
さちよさんとひとみさんが制作した絵本
「わたしのエモちゃん」
この絵本では、「ありのままの自分の感情を素直に受け止め、認めてあげること」の大切さを伝えています。自分の気持ちを大切にできれば、他人のそれも尊重できるようになる。みんなが自分も目の前の人も大切できる、優しい世の中になってほしい。そんな、さちよさんとひとみさんの願いが込められている作品です。
取材・文 川崎ちづる