「ひたむきに全力で」新しい扉を開いていく

メンバー紹介

落ち着いた口調と穏やかな表情。
いつもやわらかく微笑んでいる姿が印象的な依田さんが、インタビュー冒頭から「私めちゃくちゃ臆病者なので……」と口にされたときは、かなり驚いた。

留学経験もあり、海外旅行が大好き。しかも、国際結婚で夫はスウェーデン人。経歴だけ見ていると、さぞかし華やかな人生を過ごしてきたのだろう、と思ってしまうが、依田さんがご自身で認識している性格は、そんなイメージとは正反対。

ビビりで慎重派、引っ込み思案の、“閉じた”タイプなのだそう。

その一方で、人との出会いに恵まれ、「自分では何もしていないけれど、数人の方に引っ張り上げてもらって、今まで生きてこられたようなもの」と話す。

お話を聞けば聞くほど、依田さんのこれまでの歩みは、“人との関係”がキーワードになっていると感じた。

そして、そこから浮かび上がってきたのは、自分の大切な人に真摯に向き合う依田さんの誠実なお人柄、そして、目の前の仕事に全力で取り組む謙虚でひたむきな生き方だった。

自由な校風を謳歌した高校時代

スバキリ一味でサムネイルを担当する依田英子さんが、デザインに興味を持ち始めたのは高校時代。

制服もなく、自由な校風に憧れて入学した私立高校は、想像以上に自由だった(笑)

強制的に何かをさせられることはほとんどなく、「苦手な教科は全然勉強しなかった」という依田さんだが、素敵な先生との出会いがきっかけで、美術と英語が大好きになった。

高校の卒業式。

絵を描くことの延長で、デザインにも興味を持つように。おしゃれな友達の影響もあり、アートやファッションにも惹かれていった。

そんな高校時代の一番の思い出は、親友と行った卒業旅行だ。

卒業旅行にて。

パリとロンドンに1カ月間滞在したが、一般的なホテルではなく、食事が出ないキッチン付きの部屋に宿泊した。

「朝食においしいバケットを買って食べたり、私一人では絶対に行けないパリのおしゃれな蚤の市に連れて行ってもらったり。初めての海外で、ものすごく貴重な経験をしました」

この時の“原体験”が、その後依田さんをデザインや海外留学へといざなっていく。

キーパーソンとの出会い

〜遠藤さん・大平さん・斉藤さん編〜

高校卒業後、一度は短大の英文科に進学した依田さんだったが、在学中にデザインへの興味が再燃。卒業後に専門学校に再入学し、グラフィックデザインを学んだ。

新卒で勤めたのは、ファッション系のデザイン事務所。しかし、激務と人間関係で体調を崩してしまい、2年弱で退職した。

そして、次に派遣社員として働いた会社で、依田さんの人生に絶大な影響を与える“3人のキーパーソン”に、まとめて出会うことになる。

通信販売で健康食品を販売する会社で、雑誌広告のデザインをするのが依田さんの仕事。それまでのファッション系とは、全く異なる世界。商品の魅力を引き出す「売るためのデザイン」については完全な初心者だった。最初は苦労したという。

そこで一から仕事を教えてくれたのが、先輩でライターの遠藤さん。一人目のキーパーソンだ。その会社では、デザイナーとライターがチームになって広告を制作する体制だった。

はっきりものを言う遠藤さんに、最初は苦手意識を抱いたものの、ある時から、自分に必要なことをしっかり伝えてくれていると気がつき、その後は「尊敬できる先輩」になった。仕事熱心で向上心のある遠藤さんとの仕事は、やりがいがあってとても楽しかったという。

「チーム全体もアットホームな雰囲気で、みんなで頑張っていこう! というかんじが私には合っていました。どうやったら売り上げにつながるデザインになるのかを考えるのも、すごく楽しかったです。遠藤さんだけでなく、先輩デザイナーの大平さん、課長の斉藤さんなど、面白くて刺激的な人がたくさんいて、とても恵まれた環境でした」

左奥:斉藤さん、中央:大平さん、右奥:遠藤さん(右手前が依田さん)

大平さん、斉藤さんも、その後の依田さんの人生に大きく関わるキーパーソンだ。

この3人には、在職中もいろいろとお世話になっていたというが、むしろ退職後の方がつながりは強くなった。依田さんにとって、大きな大きな出会いだった。

イギリス留学、帰国後の再会

その後は仕事にも慣れ、派遣から正社員になることも叶った依田さんだが、30歳を目前に、「どうしても海外に留学してみたい」という思いを抑えきれなくなる。

必死でお金を貯め、仕事を退職して飛び立った先は、卒業旅行でも訪れたイギリス・ロンドン。語学学校に通いながら、コーヒーショップでアルバイトする生活が始まった。

ロンドンの思い出。右上はコーヒーショップの仲間、右下は高校の友達が訪ねてくれた時の一枚。

ロンドン留学のもう一つの目的は、「テキスタイル」を学ぶことだった。実は依田さん、昔から「模様」が大好き。イギリスには、服飾関係で有名な「セントマーチンズ大学」があり、語学学校に通う傍ら、そこでテキスタイルの短期コースを受講した。

セントマーチンズ大学のショートコースのメンバー
ショートコースでつくったテキスタイル。ランプシェードをイメージしてデザインした。

大学に入学してもっと本格的に学びたかったが、金銭的に厳しかった。2年半で資金が尽き、帰国することとなった。

留学中に、テキスタイルを求めてインドにも旅した。

貯金は留学で使い果たし、帰国後は一文なし状態だった依田さん。とにかく働いて稼がねば!と、必死で仕事を探していた時、偶然にも前職の会社の先輩、遠藤さんの結婚式があった。そして、そこでメンバーとも再会することになる。

絶賛求職中だった依田さんに、かつての先輩デザイナー、大平さんは「よだっち、ちょっと手伝ってくれない」と仕事を紹介してくれたのだ。

当時、大平さんは既に通販会社から転職し、化粧品会社で働きながら副業もこなす、バイタリティーあふれる働き方をしていた。

本業でも多忙を極め、さすがに副業が回らなくなってきたタイミングだったため、そのサポートを依田さんに依頼したというわけだ。

大平さんが出勤している間に依田さんが彼女の自宅へ行き、パソコンで作業をする日々が続いた。実は、前職の課長・斉藤さんも、この時既にフリーランスになっており、大平さんと同じプロジェクトに参加していたのだ。
ここで再び、斉藤さんとも一緒に仕事をすることになった。

「2年半の留学の間、デザイン系の仕事はほとんどしていなかったので、『デザイン脳』がすっかり衰えてしまって……。斉藤さんにも大平さんにも迷惑をかけてしまいました。
でも、私にとっては、ここでまたデザインを学ばせてもらったことは大きかったです」

そう当時を振り返る依田さん。

それにしても、絶妙な時期の再会! 遠藤さんの結婚式がなかったら、それもなかったかと思うと、この3人と依田さんとの不思議なご縁を感じずにはいられない。

結婚も先輩の紹介から

〜キーパーソン・池田さん編〜

依田さんはその後、ニキビケア化粧品の会社で働くことになるが、なんとそれも、遠藤さんの紹介だった。遠藤さん、そして大平さんも働いていた会社に、依田さんも再び仲間入りした。

ここでさらにもう一人、依田さんの人生のキーパーソンが登場する。それが、新しい会社の先輩、池田さんだ。

赤い服を着ているのが池田さん

池田さんは物流部の若き部長で、クリエティブ担当の依田さんと一緒に仕事をする機会はなかったが、時々一緒にランチを食べていた。池田さんは、遠藤さんと大平さんと仲が良く、「そこに何となく混ぜてもらっていた」という。

「池田さんって、とにかくもう、めちゃくちゃ素敵な方だったんです。どうやったらそんな人になれるのってくらい性格がよくって、誰にでも分け隔てなく接してくれる。しかも、裏表が全くないんです。部下にもすごーく慕われていました」

そんな憧れの先輩池田さんと、偶然二人でランチをしていた時のこと、依田さんがぽろっと悩みを話したことがあった。

実はこの頃の依田さんは、つらいこと続きで落ち込んでいた。大好きだった祖母が亡くなり、さらには、14年間お付き合いしていた人と別れることになったのだ。

「悲しいを超えて、人生が一回終了したくらいの気持ち」だったというのが当時の依田さんの心境。

話を聞いた池田さんの反応は、意外なものだった。
「依田ちゃんに本当におすすめな人がいるんだよね。海外の人なんだけど、一回セッティングするから会ってみない?」

こうして紹介してもらったのが、現在の依田さんの夫、スウェーデン人のヨハンさんだ。

池田さんとヨハンさんは、学生時代の留学先・アメリカで出会った友人。当時偶然にもヨハンさんが日本に滞在していて、紹介してくれたのだという。しかし、なぜ依田さんにヨハンさんが「おすすめ」だと思ったのか、その詳細は未だ不明(笑)

ともあれ、大尊敬していた池田さんが紹介してくれただけあって、ヨハンさんは誠実で信頼できる人だった。実は依田さん、留学中に旅行でスウェーデンも訪れていた。その時の「素敵な場所だな」という印象もプラスに作用し、二人は順調に仲を深めていった。

その後、3年間の交際を経て結婚。現代は、2人の子どもにも恵まれている。

お二人の結婚式。

前職の先輩、遠藤さんから始まったキーパーソンのつながりは、大平さん、斉藤さん、そして池田さん、遂にはヨハンさんとの出会いにまで発展した。

依田さんの話から、みなさんとても素敵な方たちなのだと伝わってくるが、「類は友を呼ぶ」という。依田さん自身が彼女たちと同じパワーを持ち、輝きを放っているからこそつながったご縁なのだと実感する。

スバキリ一味につながる出会い

〜村上さん・財津さん編〜

「デザイン以外のスキルも身につけたい」

こうした想いから、依田さんは2014年に転職。衣料品を扱う通信販売の会社で、カタログ制作のデレクションを行うようになった。

ここで、スバキリ一味につながるキーパーソンが登場! リターン画像の村上さんと、フォロー担当財津さんだ。

村上さんは仕事を手取り足取り教えてくれた先輩で、財津さんは他部署だが、一緒に仕事をした先輩。「妹のように可愛がってもらった」村上さんと、「博識で、いろいろなことにアンテナが立っているスゴい方」という財津さん。

依田さんは、新しい会社でも、やはり素敵な先輩に恵まれた。この会社で二度の産休・育休を経験し、2021年にフリーランスに転向した。

充実したフリーランス生活

依田さんがフリーランスで仕事を始めたのは、「場所にとらわれない働き方をしたい」と考えていたからだ。

実は依田さん一家は、長男が生まれた後、アメリカで暮らすことを考えていた。しかし、その後すぐに次男の妊娠・出産、そうこうしているうちにコロナ禍に突入してしまい、今に至る。

依田さん一家。長男は4歳、次男は2歳。

夫の仕事のこともあり、すぐに移住する予定はないが、少しずつ準備を進めておきたいと考えていた。

そこで思い切って、フリーランスでの活動に踏み出したのだが、ここでも第一キーパーソンの遠藤さんが颯爽と表れ、仕事を紹介してくれた!

「私、遠藤さんに、サブスク的に毎月お金を払った方がいいですよね」と依田さんは笑いながら話す。

そして、フリーランスに転向して半年が経った2022年3月、既に一味入りしていた財津さんの紹介で、サムネイル担当としてスバキリ一味に加入した。

当初は、プロジェクトごとに異なるターゲットやデザインのテイストに苦労したが、少しずつ慣れてきて、今ではデザインを楽しめるようになったという。

「いろいろなプロジェクトにふれて、全然知らない分野についても知ることができ、最高に楽しいです!」と笑顔で話す。

すべてがオンラインで完結するスバキリ一味の仕事は、今後海外移住の可能性がある依田さんにもピッタリだ。
さらに最近は、フリーランスの他に、アパレルメーカーの制作部に週3で派遣社員として通っている。

「仕事が途切れたタイミングで始めましたが、これがすごく勉強になって! 私、出産前後はデレクションの仕事が多くて、実際に手を動かしてデザインすることは少なかったんですよね。
だから、デザインツールの知識が古いまま止まっていたんです。今、勉強しながら働かせてもらっているかんじで、すごくやりがいがあります」

どんな仕事も前向きに、しかも120%の力で取り組むのが依田さん流。そんな依田さんだからこそ、周りは仕事をどんどん紹介したくなるのかもしれない。

キーパーソンを引き寄せた“ひたむきな姿勢”

依田さんのこれまでの歩みは、ご本人が公言するように、「人に助けてもらってきた人生」のように見えなくもない。確かに、何らかのピンチや大きな変化など、節目節目にキーパーソンが現れて、依田さんの前に新しい「扉」を用意してくれたようにも思える。

けれどそれは、依田さん自身が人を大切にし、自分を取り繕ったり偽ったりせずに、周りの人たちに真摯に向き合ってきたことの「結果」だと思う。

それに何より、扉が用意されていたとしても、それを開けて新しい世界に飛び込めるか、その先の新しい場所で自分の力を発揮できるかは、本人次第だ。

依田さんは見事にそれをやってのけ、飛び込んだ世界で美しい花を咲かせてきた。

そんな姿を見ているからこそ、キーパーソンたちは、何かあれば依田さんの力になりたいと思っているのだろうし、もしかしたら、彼女たちの方が依田さんから刺激をもらい、それを自分の力に変えているのかもしれない。

2022年の年賀状の写真。二人ともすくすく育っている。

2人の出産・育児を経験し、フリーランスになった今、「自分から積極的に人の輪に入らなかった」依田さんは、少しずつ変わりはじめている。

「昔の私だったら、スバキリ一味のような場所ではひっそり息を潜めて、誰とも交流しなかったと思いますが、せっかくたくさん面白そうな方たちがいるので、いろいろな会に参加して、楽しみたいと思っています」

そう語る表情はキラキラと輝いていて、明るいオーラに包まれている。

そもそも、依田さんが人付き合いを広げなかったのは、臆病な性格というよりは、「自分が心から信頼できる人と、ありのままの自分で関係性を築きたいから」だったのでは?

まあ、その辺りの認識はどうあれ、依田さんが今、新たなステージに立っているのは間違いなさそうだ。

依田さんが作った模様。消しゴムを掘ってスタンプに。

これからも、さまざまな仕事に取り組みながら、将来的には大好きなテキスタイルデザインにも挑戦したいという。

応援団の声援を力に変え、依田さんはこれからも、全力で人生を駆け抜けていくだろう。

取材・執筆 川崎ちづる