ライスさんこと林知章さんは、あらゆる制作物の企画・構成、ディレクションを行う大ベテランだ。
この業界に入って30年超。印刷物のディレクションやコピーライティングをはじめ、ウェブサイト・映像・イベント・展示施設その他、多種多様なものの企画や構成、制作ディレクション等に関わり、スタートアップから超大手企業まで、実にさまざまなクライアントを擁している。
そんなライスさんがスバキリ一味にライターとして参加することになったと聞いて、最初はちょっと驚いた。
ライターなの?ディレクターじゃなくて?
クリエイティブに精通している大ベテランが、なぜクラウドファンディングのライターを…?
「はじめまして、林と申します。どうぞよろしくお願いします」
穏やかな関西弁のご挨拶で始まった、ライスさんへのインタビュー。最初に思ったのは、声のトーンが心地よい、ということだった。←そこか
「この声、誰かに似てるけど誰だろう」
と思いながら話していたのだが、なかなか思い当たらない。
インタビューから数日が過ぎ、大河ドラマ「光る君へ」に藤原道長役で出演中の柄本佑さんを見て、唐突に出てきたのがこの名前だ。
「柄本明だ!」
そう、柄本佑さんのお父様でもある俳優の柄本明さん、声が似てると思うのだけどいかがだろうか。柔らかな物腰だけどとらえどころのないこの声、この喋り方。いやマジで似てると思うんだけど、どうだろう。
というわけで、ライスさんの発話部分はぜひ、柄本明さんの声で脳内再生してみてほしい。←ってどういう…
人と同じことをするのが嫌い、の原点は「広島カープ」
広島生まれのライスさんは、3歳から大阪、フリーになってからは兵庫と、お住まいは長らく関西圏だ。とはいえ広島出身の両親をはじめ親戚はみんな広島だから、子どものころからずっと野球はカープファン。
「友だちやらなんやら、まわりはみんな阪神ファンでしたけどね。僕だけ赤い帽子かぶって」
ここで、人と同じは嫌だという気持ちが芽生えたのではなかろうか。
昭和40年代の小学生男子は、運動したければ野球をするしかなかった。野球少年だったライスさんは、背は小さかったけれど打つのは好きで、5番や3番を打っていたそうだ。
でも、練習は嫌いだった。ドラマ「不適切にもほどがある!」に出てくるような、いわゆる昭和の熱血指導がそのまま展開されていたからだ。
「口の中から水分が100%なくなるような状態なのに、水飲んだらあかんのですわ。だから、わざとこけて『手洗ってきていいですか』って、洗ってるふりして水飲むみたいな」
土日も夏休みも毎日練習。その甲斐あって市の大会でも優勝したりと強豪チームだったそうだが、チームメイトが中学でも野球部に入るなか、ライスさんひとり入部しなかった。
「みんながこっち行ったら、そっちじゃないほうを選ぶクセがあって」
このころには、人と同じことをするのが嫌いという性分は確立されていたようだ。
マスコミから、クリエイティブへ
将来はマスコミで働きたい。
そう思っていたライスさんだが、当時はそのための勉強ができる大学の学科はなかった。とりあえず文系を目指そうと、一浪して関西大学法学部に進学。しかし、大学は4年で卒業したものの、持ち前の性分がここでも本領を発揮する。
「みんなと同じようにスーツ着て就職ってどうなのって思って」
バブルは終わっていたが、景気は今より全然よかった。フリーターでも一生食べていけると言われていたし、どんなに成績が悪い学生でも4、5社は内定をもらえたそうだ。今では考えられない時代だ。
大学で始めた新聞社の「坊や」と呼ばれる編集補助のアルバイトは、学生で年収300万を越えていた。普通に就職するのがばかばかしくなる金額だ。しかも坊やのアルバイトで現場を知るうちに、あこがれていた新聞記者についても、
「ちょっと違うな、って思っちゃったんですよね」
そこでライスさんは1年間、放浪の旅に出ることにした。自分探しの旅といった方が、らしいかもしれない。アルバイトを続けながら、休みを取っては屋久島に行ったり、釣りに行ったりと、1年間のんびり過ごしたそうだ。
旅から戻り、バイト先の新聞記者に就職先として紹介してもらった会社のひとつが、企画会社の株式会社メディックスだった。そこでライスさんは、クリエイティブの仕事を始めることになる。
一番大切なのは、「信用をつくること」
株式会社メディックスは社長を含めて3人の小さな会社だが、仕事は印刷物からイベント・映像の制作まで多岐にわたった。人手が足りず、最初こそアシスタント的だったが、じきにどんどん任されるようになったそうだ。例えばこんな感じだ。
「社長から『じゃあここのコピー書いてみて』ってボーンって渡されて」
うんうんうなりながら、あり得ないぐらい時間をかけてコピーを考えてはダメ出しされて、やっとOKが出たらクライアントにもOKをもらい、なんとか世に出す…という繰り返しだったそうだ。すごいスパルタだ。
小さな会社で、映像もイベントも印刷物も全部自分でやらないといけなかったからこそ、全部勉強することができた。それが今のライスさんの、あらゆる制作物のトータルディレクションおよびマネジメントを行う仕事スタイルにつながっていく。
ところで、ライティングは?と尋ねたら、
「どんな制作物にも文字はあるんですよ」
とライスさん。言われてみれば確かにそうだ。広告だったらコピー、映像だったら台本、イベントだったらナレーション原稿、と、ライティングの仕事は幅広い。そしてそれらすべてをライスさんが担当しているというのだ。
それぞれに専門のライターが存在していることを考えると、どのライティングも難なくこなすなんて、すごいとしか言いようがない。
そして、仕事においてライスさんが一番大切にしているのは信用だ。
「変なプライドですけど、ただの外注業者と思われたくなくて」
関西では関東より、お金を出す側が強くてお金を受け取る側が弱いという感覚が根強いそうだ。クリエイターであろうとも、その風潮は変わらない。
でも、お客様からの紹介で、信用していただいたうえでの依頼に関しては、そういうことがないという。そのためには、信用を得るのが何よりも大切だとライスさん。
「だからこそ、〆切はきちっと守るのがマストというか」
古い人間だからと謙遜するが、見習わなければ…。
「まあ、できないときはできないって言います。最初から(笑)」
スバキリ一味とのつながりは「ルミ姉」
そんなライスさんがスバキリ一味とどうやってつながったのかと伺うと、こんな逆質問が返ってきた。
「ルミ姉ってご存じですか?」
ルミ姉は確か、数年前に公開された、スバキリ一味のメンバーが数名かかわっていたプロジェクトのオーナーさんだ。わたしも支援した記憶がある。
「ありがとうございます。一応、義理の妹なんです」
…そうなの!?
ルミ姉のお姉さんがライスさんの奥様だそうで、なんだかちょっぴりややこしい。どこがどうつながるかは本当、わからないものだ。
たびたび家に遊びに来るルミ姉から、クラウドファンディングの話はもちろん、スバキリ一味のこともちょくちょく聞いていたらしい。
ライスさんは様々な仕事を請け負っているが、そのうちのひとつに自伝的なストーリーを書く仕事もあるそうだ。直接クライアントに喜んでもらえる、そんな仕事をもっといろいろやっていけたらいいなとルミ姉にポロっと話したら、
「そんな人スバキリ一味におるで。つなげようか?」
そんな経緯で、ライスさんはスバキリ一味の代表小西さんとつながり、スバキリ一味にクラウドファンディングライターとして加入することになったのだ。
「『クラウドファンディングをやりたい』なんて言ってくるような、いろんなことしてはる人の話はきっと面白いと思って」
それが、ライスさんがライターとして参加した理由だという。実際、普通に生きていたら絶対出会わなかっただろうと思うような人の話が聞けるのは、クラウドファンディングライターの醍醐味のひとつだ。
ライティングががっつりハマってクライアントさんに喜んでいただけたときはもちろん、公開中も終了後もページをさまざまに活用してくださっているのを聞くと、本当に嬉しい。
とはいえ、クラウドファンディングは公開すれば必ず支援してもらえるわけではない。支援が全然入らないこともあるし、公開直前でとん挫するプロジェクトだってある。そんな波乱も込みで「クラウドファンディングライターって面白い」と思ってもらえたらいいなと思っている。
人が集まる家、最高じゃないか
そんなライスさん、実は結婚は2回目だ。
1回目は上手くいかず、家庭も子どもも立ち上げたビジネスの権利も全部失った。残ったのはマンションの負債だけだったそうだ。
「離婚調停したり自己破産したり、どん底でしたね」
そこから何とか立ち直り、今の奥様と再婚。再婚同士で奥様の連れ子がふたり、奥様とのお子さんが11歳と6歳のふたり。そこに義理のお母様も加わって、住まいは7人の大所帯だ。
「僕は洗濯担当なんです」
「その人数の洗濯、大変じゃないですか?」
「1日2ターンです。冬とか乾かなくて」
いかに段取りよく洗濯をするかを話すライスさんは、なんだかとても楽しそうだ。
ライスさんの奥様は、ライスさんと共通の趣味があるわけでもなく、お酒を飲むわけでもないらしい。でも、飲んでいる人と話すのは全然楽しめる人なのだとか。
「そうそう、うちね、人が良く来るんですよ、なんやかんや」
そもそも7人の大所帯に加え、奥様の友人をはじめ、奥様の妹(ルミ姉だ)やもうひとりの妹家族とその友人、子どもたちの友達まで、格好の集合場所になっているライスさんの家はいつもにぎやかだ。勝手に入ってきて勝手に出ていっても全然オッケーな、かしこまらない感じの家なのだそうだ。
「この間も友達が一緒に晩飯喰おうって来て、酒飲んで」
いろいろごちゃっとしているけれど、そこがいい。いろんなことがあったけど、それを丸っと受け入れて今がある。きっともうずっとこの感じで行くのかもしれない。人が集まる家、最高じゃないか。
人が集まる家なのは、奥様はもちろん、ライスさんのお人柄も多分にあるに違いない。
上のお子さんが保育園を卒園した5年前、ライスさんは持ち前の技術を生かして子どもたちの成長記録と子どもたちから先生に感謝を伝える動画を作成し、先生たちをねぎらう卒園式後の茶話会の最後に流したそうだ。そうしたら、
「全先生が泣いて(笑)」
全米か。そりゃ泣くでしょ…。
「そんだけ喜んでもらえたら、プライスレスってやつですよね。お金じゃない」
喜んでもらえる、感謝してもらえる、期待してもらえる。それが何より嬉しい瞬間だとライスさんは言う。そういうライスさんの家だからこそ、きっとたくさんの人が集まって来るのだろう。
「でも、プライスも欲しいですけどね(笑)」
下のお子さんが入園した3年前、ライスさんは早々に映像係に任命された。上のお子さんとも同級生の親御さんが数人いて、ライスさんの動画クオリティを知っていたからだ。
この3月、下のお子さんも保育園を卒園すると聞いた。この記事がアップされる頃にはすでに、下のお子さんたちの素敵な動画がお披露目されているはずだ。
「そろそろ作らないといけないんだけど、そういう時に限ってめっちゃ忙しくて」
インタビューしたのは2月後半。上のお子さんの時はズルズル後回しになってしまい、結局卒園式前日の夜中に仕上げたのだとか。今年はちゃんと前日、寝られていますように。
今年の目標は、「健康診断を受けに行く」
ライスさんは最近、自分のストーリーを書き始めている。
「経験だけはいっぱいしてますからね。仕事も、プライベートも」
人生の物語としてまとめているというよりは、出来事単位で文章にしたり、その時の思いをまとめたり、というやり方をしているそうだ。ライスさんには、いろいろ書き留めておきたいキーワードがあるのだという。
ライスさんは57歳、お子さんはまだ11歳と6歳。たぶん、直接伝えられる時期はそこまで長くない。子どもが聞きたいと思ったときに、もう自分はこの世にいないかもしれない。
「僕が死んでから、子どもが読んだ時に『ああ、こういうことやったんか』みたいなの、残しておきたいなと思って。誰にも見せずに」
「じゃあ、自分の中で一番大きな仕事として、それがあるんですね」
「でも、優先順位は低いです。〆切がないんで(笑)」
今でも、仕事で必要なら徹夜も全然できてしまうというライスさん。
とはいえ還暦も目前、そろそろ本格的に体を気遣っていかないといけないお年頃だ。
「健康診断、20年ぐらい受けてないんです。多分大丈夫かなって」
「いやいやいや、それは受けに行ってくださいよ。お子さんもまだ小さいですし」
「いや、怖い。受けたら何か出てくるじゃないですか」
「いやいや、何かを出すために行くんですよ!『週刊スバキリ一味』に書いときますから!」
というわけで、今年のライスさんの目標は「健康診断を受けに行く」に決定😁少なくともお子さんが成人するまで、元気でいないとね。ちゃんと受けてきてくださいね!
「…取り留めない話でほんとすみません。ぜひ綺麗に書いていただいて」
「いろんなお話聞かせていただいて、ありがとうございます」
「めっっちゃ楽しみですわ。どこを切り取られるかなって」
「プレッシャーだ(笑)。だからライターのインタビューは嫌なんですよ」
「絶対嫌ですよ、僕。僕だったら絶対受けないです」
ここ↑めっちゃ食い気味で、一番気持ちこもってました(笑)
いやもうほんと、大変でしたよライスさん…
ライスさんの面白さは、ドカンというよりジワリと来る面白さだ。
紙面(WEBだが)の都合で割愛したが、バブル時代の武勇伝をはじめさまざまな仕事の思い出その他、面白話をたくさん聞かせていただいた。機会があったらぜひ、ご本人と直接話をしてみてほしい。ライスさんの面白さみんなに伝われー!
取材・執筆―堀中里香