話しはじめるや否や、「この人は、いい人に違いない」と本能的に感じる人がいる。そう思わせるのは、笑うと柔らかく下がる目尻だろうか。真摯に言葉を紡いでいく話し方だろうか。それとも、頼りがいのある、安心感を与える体格だろうか。
2023年の秋から、Dチームのディレクターとしてスバキリ一味に加入した室屋恭平さんは、まさにそんな「いい人オーラ」を身にまとった人だ。彼が初めて参加したスバキリ一味定例会での、数十秒の短い挨拶でさえ、そう感じたメンバーは多かったのではないだろうか。
室屋さんは、「挑戦する人が輝く社会をつくること」をミッションに掲げ、クラウドファンディングサポート事業の他、お芋のスイーツ販売、ライブコマース事業など幅広く事業を展開している。彼が語る言葉に説得力があるのは、室屋さん自身も、挑戦し続けてきた人だからだ。
話を聞くうちに、「いい人オーラ」で包まれていた好奇心と情熱、そして論理的に時代を読む力があふれ出てきた。
ベンチャーブームに憧れて
室屋さんの社会人としてのスタートは、大手証券会社の営業マン。金融業界を選んだのは、世の中の流れや経済状況をキャッチアップしていく方法を学び、早く成長して独立するためだった。
自身が高校~大学生だった2000年代初頭、堀江貴文氏を筆頭としたベンチャーブームに興味を寄せ、ビジネスや経済の動向に興味を持っていた。そのうち、「自分もいつか独立して事業をやりたい」と考えるようになったのだという。
大学時代の「スマートな室屋さんを探せ!(笑)」
「法人営業の仕事を通じて、税務とか制度のことも学べたし、会社の看板を借りて、数百~千以上の企業の経営者や経理担当者の話を聞くことができたので、とてもよかったと思います」
そう証券会社時代を振り返るものの、その世界は生ぬるいものではなかった。
法人営業の仕事は、「足で稼ぐ」飛び込み営業が基本で、配属初日に名刺を100枚渡され、「なくなるまで帰ってくるな」と言われる昭和スタイル。100件飛び込んで、話を聞いてもらえるのが2~3件あるかないか、という状況だったという。
「会社を利用して成長してやろう、くらいの意気込みで入社したものの、自分の税務や制度への理解が追い付かず、最初は全く契約が取れませんでした」
そう言って申し訳なさそうに笑う室屋さんは、とても人間らしい、と思う。
それでも営業の仕事を2年ほど続けるうちに、基礎的な税務や制度については理解できるようになった。自信を持って話せるようになるにつれ、成約率も上がってきた。さらに、小型株のブームが到来し、自分が追いかけていた業界の情報から、株価が上がりそうな銘柄をお客さまに提案し、貢献できたことが、大きな成功体験になったのだそう。
証券会社の仕事にやりがいを感じるようになっても、いつかは独立したいという想いは薄れることはなかった。しかし、会社にもちゃんと貢献してから辞めようと30歳までは続けると決めていたということに、室屋さんの義理堅さを感じる。東京、倉敷で営業を8年半続けたのち、異動のタイミングで独立を決めた。
情熱と知性、そして人の良さを兼ね備えた室屋さんの人柄がうかがえる、会社員時代のエピソードだ。
飲食店のスタートはクラウドファンディングで
学生の頃からの憧れと証券会社での営業経験を経て、室屋さんが共同経営者とたどり着いた事業は飲食店経営だった。
倉敷でよく通っていた飲食店の裏メニュー「宮崎牛の藁焼き」にほれ込んだ室屋さんは、通っていた店の息子さんをシェフとして大阪に呼び、それを看板メニューとするお店を大阪でオープンすることを思いつく。
そして、紹介のみ、会員制の隠れ家レストランとして、クラウドファンディングを仕掛けたのだ。
当時、東京では中流層向けの会員制レストランが流行っていたが、大阪ではまだそのような店はなかったのだという。
時代の風を読んだこのプロジェクトは、目標金額50万円に対し、684%の342万円の支援を集め、順調なスタートを切れるかに思えたが……大変な事態が発覚してしまう。
店舗用に借りたビルの2階が、不良物件だったのだ。配水管が何かを避けるように不自然なコの字型に組まれ、明らかにゴミが詰まりやすい構造になっているのが、内装工事中に見つかった。
貸主に連絡を取ったものの、契約書には通常記載される瑕疵担保に関する項目がないことが判明。不動産関連の人や弁護士に相談を重ねたが、契約書にその項目がない状態では、争っても勝てないということが分かり、泣き寝入りするしかなかったのだ。
50万円ほど追加費用をかけて、別経路に排水を流すような応急処置をし、2018年12月、何とか店のオープンに間に合わせた。
いくつもの逆境を乗り越えて
しかし、事態はそれでは収まらなかった。
オープンから半年ほどで、事業を軌道に乗せようとしていた矢先…2019年8月、店内の業務用エアコンから水が滝のように流れだすという事態が起こってしまう。配水管に少しずつ負荷がかかっていたのが、耐えきれなくなってのことだった。
その配水管を根本的に修理するには、1階の別の店舗の天井もめくる必要があり、その見積りは約400万円。さすがにその費用を捻出することはできず、撤退を決めた。
「飲食店を続けようかと思ったのですが……証券会社時代に貯めた資金をしっかり全部吐き出して、むしろ借り入れまで作って、収入がゼロ。シェフを雇い続けることも難しく、とりあえず食っていくために、何かをやらなあかんと思って」営業代行の仕事を始めることにした。
こうして、飲食店向けのウーバーイーツ導入の営業を軸とする新たな事業を始めたのが2019年12月のこと。まさにその直後、皮肉にもコロナが全世界を襲う。飲食店向けの営業代行をはじめて3カ月ほどで緊急事態宣言が出されると、営業代行が不要になるほど、ウーバーイーツの需要が高まった。
「もう、この仕事もできへんな、と思って……次にクラウドファンディングのサポートを始めることにしました」
室屋さんの強みは、時代に合わせて、自分の経験をビジネスに変えていけるところだ。営業経験があるから……クラウドファンディングで成功した経験があるから……突発的な事故や、時代の流れでどうしようもなくなったとき、経験からできることを模索し、食べていくための職を探した。
どんなときであっても、自分の能力を活かせる仕事を選び続けることが、自らが望む道を切り開いていくことにつながるのだと、室屋さんがたどった道が教えてくれる。
クラウドファンディングサポートから広がるビジネス
室屋さんが共同経営者と始めたクラウドファンディングサポートは、「一気通貫型」。営業からライティング、サムネイル作成、リターン設定まで、さらに必要に応じてクライアントと共に商品開発も行うなど、クライアント企業に深く入り込み、できることは何でも手伝うという姿勢をとっていた。
そのため、プロジェクト終了後も継続してコンサルとして関わることもあるほどだったという。
そのようなスタンスで多くの企業と関わるなかで、さまざまなビジネス的な広がりが生まれた。その一つが、「お芋のスイーツ専門店おもいもの-OMOIMONO-」の立ち上げだ。
もともとサポートしていた野菜の卸の会社の紹介で出会ったお芋農家のお芋が衝撃的においしく、それをつかって何かをやりたいというアイデアが浮かんだ。
しばらくそのアイデアを温めていたところに、クラウドファンディングを通じて、初期費用ゼロで事業をひとつ立ち上げるというチャレンジをする機会に恵まれた。デザイナー・飲食店プロデューサー・パティシエ・子ども食堂の方たち…人との出会いが、ひとつのアイデアを事業へと昇華させたのだ。
「僕一人では、何もできないので、出会った人たちに助けられて、なんとかやってきている感じがします」と、控えめな言葉にする室屋さんだが、この「人を束ね、世間に求められるタイミングで、アイデアを事業として世に送り出す」ことこそ、実業家と呼ばれる人たちがやっている、何よりも大切な根っこなのだ。
時代を読み、チャレンジする
そんな室屋さんが、2023年秋にスバキリ一味にディレクターとして加入する。それまで事業を共にやっていた共同代表が、別会社に就職することになり、会社を分けるタイミングでのことだった。
クラウドファンディングサポート事業に関して、これまで2人だからやってこられたことも、1人でとなると厳しくなる。そう思ったときに、ディレクターを探していた小西さんのことを思いだし、申し入れたのだ。
実は室屋さんは、飲食店を経営していた頃から、小西さんとは知り合いだった。
一時期は一緒にラジオをやっていたほどだ。(お金に縛られないラジオ:2020年5月~2021年1月全165回)
これまでクラウドファンディングにまつわるすべてのことをやってきた分、分業制のスバキリ一味でディレクター業に専念することで空いた時間を、せっかくならば小西さんとシナジー効果を生み出せるものに充てたいと考えた。そのとき思い当たったのが、クラウドファンディングをやる人たちが結局困るのが、集客だという点だった。
「せっかくクラウドファンディングを始めても、拡散できないというところがやっぱり課題だなというのは、サポートしてきて感じていました。そこで逆に、集客につながる何かを提供できればとてもいいと思ったんです」
そこで出てきたのが、ライバーサポート事業だ。
2023年10月に、ライバーエージェント事務所「2BC LIVE」と、ビジネス向けTikTok LIVE導入サポート「2BC LIVEサポート」を立ち上げた。
「僕は、ライブコマースが近い将来伸びると考えているんです。いわば、ジャパネットたかたのSNS版ですね。事業者さんが、自社の商品を販売できるチャネルとして、商品のよさをオウンドメディアで語って、実際に買ってもらえるようになるサポートをしたいと思っています」
この事業アイデアに至るにも、しっかりとした根拠があった。中国でライブコマースが非常に流行っている点、日本のテレビ保有率が下がっていることから、現在のテレビショッピングが別の媒体に移動すると予測されている点などだ。
「ライブコマースをやりたいっていう話をいろんなところでしていたら、avexsグループの株式会社LIVESTARの代理店というかたちを紹介してもらったんです。そこから、僕がやりたいことと、契約内容のすり合わせをしてとんとん拍子に進んでいった感じです」
根拠を持ってやりたいことを見つけ、そのために動き、ご縁がつながり、感謝して、かたちにする。情熱と、論理的なところと、人柄のよさと……ここでも、室屋さんの「3点セット」が登場する。
「そういう流れが来ると思ってやっていますが…小さくチャレンジしてみて、軌道に乗ったら継続していくし、乗らなかったら撤退します。これまでも、いっぱい失敗してますよ。かたちになったのが残っているだけで、かたちにならなかったのが山ほどあります。ローストビーフの通販とかね(笑)」
小西さんの参謀に
小西さんも、以前の対談で、室屋さんと同様のことを語っている。
ここだ! と思うところがあったら全力で取り組んだらいいと思うんです。そういう感覚になったこと、ありません?釣りで言うと、ピクピク、あ!きた~!グルグル全力で巻け~!みたいなところがビジネスにはあるんですよ。
小西さんも証券会社の出身。同様の経験をし、経営や経済のことを実体験として知る室屋さんが一味に加入してくれることをとても心強く思っていることだろう。
「小西さんの参謀的な役割を担えるんじゃないですか?」とのこちらかの問いかけに、室屋さんはこう答えた。
「証券会社にいたときからずっとやってきたのは、経営者や新規事業の立ち上げの相談役みたいなことなので……僕のことをうまいこと使ってもらえたら嬉しいですね。挑戦する人が輝いている社会をつくるのが、僕のミッションでもありますし、自分自身も死ぬまで何かにチャレンジしていたいな、と思っているので」
この答えもやはり、知的で、情熱があり、そして“いい人”だ。
「挑戦する人を応援するクリエイター集団」を名乗るスバキリ一味に室屋さんが加入してくれたことは、一味のさらなる成長に大きな影響をもたらすことは間違いなさそうだ。
取材・執筆―石原智子