噂話に囚われずにその人自身に接し、自分の機嫌は自分でとりながら生きる。

メンバー紹介
ライター 白銀 肇 (しろかね はじめ)

「私は今も人見知りで緊張する性格ですが、園児の頃から一人で絵を描いたりするのが好きでした。小学生になってからはガンダムのプラモデルを作ったりミニ四駆を走らせたり。一人で何かをするのが好きでしたね

動物好き2

そう話すのは、大房真由美さん、42歳。

大房さんは広告代理店の経理を本業としながら、クラウドファンディングの代行をおこなうスバキリ一味に参加し、リターン(返礼品)の担当として活動している。

あなたはきっと、ここで1つ疑問が湧いたのではないだろうか?

なぜ、40歳を過ぎたこのタイミングでメンバー数40名を超えるスバキリ一味に入り、クラウドファンディングの代行のリターン担当としてチャレンジしようと思ったのだろうか?

インタビュー冒頭で、大房さんが人生で大切にしている価値観を知ろうと、「人と関わる上で大切にしていることはなんですか?」という質問をぶつけてみた。

すると・・・
①噂話に囚われずにその人を知ろうとする
②自分の機嫌は自分でとる

の2つだと答えてくれた。

この2つの価値観をもとにして、大房さんのこれまでの人生ストーリーに迫ってみた。

プロフ-ステンドグラス美術館

「噂話に囚われずにその人を知ろうとする」という想いのルーツ

「小学3年生の頃、ガンダムの百式が好きでプラモデルを一人で作っていました。一人でものを作ったり作業をするのが好きで・・・その頃はミニ四駆が流行っていて男の子の友達4、5人と一緒に走らせて遊んでいました」

女子よりも男子と遊んでいたことやおとなしい性格からか、小学5年生になったある日、クラスメイトから無視されるようになった。教室の中で聞こえてくるのは、「ヘンだよね」「おかしいよね」という言葉。一緒に遊んでいた男子たちにも距離を置かれた。

「上履きが無くなったり、罰ゲームの対象になったのを覚えています。周りからどう思われるかをすごく気になるようになりました」と大房さんは話す。

ちょうど思春期になる時期からいじめの対象になってしまったのだ。。

「中学は3つの校区の小学校から生徒が入学したものの、私が通っていた小学校の生徒数が多かったんです。だから“あいつ気持ち悪いから話さない方が良いよ”と言われてしまうので、友達はできませんでしたね」

頼れる人がいない環境の中、大房さんに自立心が芽生えた。それもそのはずで、学校でのいじめの問題だけではなく家庭の問題も抱えていたからだ。

「子どもの頃から両親が不仲で・・・あと、弟と妹がいるので長女の私は理不尽なことでも怒られていて・・・中学を卒業したら就職して家を出たいとずっと思っていました」

環境に不満を並べずに自分の道を進もうとする大房さんのマインドに強さを感じた。しかし、その頃の大房さんには「消えてしまいたい」という気持ちもあったという。

「その頃は今みたいにインターネットがないから死に方もわからなかったのが良かったです。死ぬのが怖いのもあったし。というか負けん気も強かったです。“なんで酷いことをしてくるあの人たちのために私が死なないといけないんだ!”と思ったり。親が高校くらいは出ておいてということで手に職をつけるために商業高校に進学しました」

存在を認めてくれた高校の友人たち

高校の入学式の日の朝、方向音痴な大房さんは自転車で家を出発した。

「友達ができるかな?」という不安よりも、「ちゃんと学校に着けるかな?」というドキドキの方が大きかったという。学校について入学式を終えて教室に入り、席に座ると周りに中学時代のクラスメイトはいない。

ただ、「高校を卒業して働くために入学したし、別に友達いなくてもいいや・・・」とも思っていた。

その時、右側の席から明るく芯のある声が聞こえたのだ。

「ねぇ!どこ中(学校)?よろしくね!」

可愛らしいおっとりとした笑顔を見つめながら、大房さんは中学名を答えた。

「Aちゃんは教室の移動も一緒に行こうって誘ってくれましたし、Aちゃんのグループの友達と5人で過ごすようになったんです。彼女たちは噂話を信じるタイプではないし、一人一人の人間を知ろうとする性格。そんな彼女たちに仲良くしてもらえてすごく嬉しかったです」

この出会いによって大房さんは、約5年間続いたクラスメイトに対するネガティブなとらえ方が和らいだという。

これからの時代はパソコンだ!と思って選択した情報処理科では、プログラミングの授業がありました。当時はWindows95のパソコン。英語が不得意なこともあり、ローマ字と数字のプログラミング言語のCOBOLとかよくわかりませんでした(笑)」

ブラインドタッチでキーボード入力ができるものの、テストでは平均点。手に職をつけようと思っていた大房さんは簿記部に入った。

「簿記って面白い!まるでパズルを解いている感じ!」

一人でできる作業であったこともあり、ドンドンハマっていき、在学中に簿記2級を取得した。

001.高校卒業旅行-友人と-ちょうど簿記部顧問も一緒

写真:高校卒業旅行時友人・簿記部顧問と

「先生からすると、簿記商業科の生徒ではない情報処理科の私が簿記2級をとったことは珍しかったようで、認められて自信がつきました。手に職をつけるために商業高校に入ったもののもう少し資格をとったりステップアップしたいとうようになり、親に頭を下げて埼玉県大宮市にある2年制の専門学校の税理士コースに進学しました」

専門学校では、高校までの大房さんを知る人は0人。「これは社交性をゼロから磨くチャンスだ」ととらえたという。

専門学校では1年生の時に簿記1級を取得したが、在学中に税理士試験には合格できず就活をスタート。クラスメイトは次々と内定が決まっていくが・・・内定をなかなかもらえず、何とか最後から2番目に内定を獲得した。

「卒業後は、avexという音楽業界では大手の会社の経理を担当していました。入社1年ほどした時に専門学校の時の先輩と共通の友人を通じて遊ぶようになり、3ヶ月の交際期間で結婚し、会社を退職しました。結婚願望が強かったんです」

003.avex入社しても間もなくの食事会

写真:.avex入社しても間もなくの食事会

002.専門学校卒業式-現在の夫と-この頃はただの先輩後輩(卒業時期一緒)

写真:専門学校卒業式-現在の夫と-この頃はただの先輩後輩(卒業時期一緒)

栃木にある夫の実家で同居生活がスタート。夫との結婚の決め手は、「怒らない、決めつけてこない、話を聞いてくれる」の3つ。フラットに物事を見られるその人柄に安心感を抱いたという。

そして、翌年には子どもを出産。現在20歳と16歳になる2人の子どもの母である。

「自分の機嫌は自分でとる」という想いのルーツ

「長女が比較的育てやすかったということもありますが、次女は私に似て我が強い性格だったこともあり、子育中はなかなか心に余裕がもてませんでした。“母親としてこうしなきゃ、ああしなきゃ”という世間一般で言われていることができない自分が情けなくて感情が爆発することもありました」

次女は、小学3年生になり始めた頃から、不登校気味に。大房さんが車で学校に連れて行こうとしても、車を降りた後に学校のフェンスにしがみついたり、逃走したこともあるという。

「子どもが学校にいけないと、周りの保護者からも“母親がダメだから、母親の責任だ”と思われてしまうので、次女には“良い子にしなさい!ちゃんとしなさい!”とキーキー言ってしまっていました。今のようにフリースクールの選択肢もなかったですしね・・・でも、担任の先生に恵まれたおかげで次女が徐々に学校に行けるようになったんです」

次女が学校に行くようになったことで、大房さんの心に少し余裕ができた。

この時、「次女も1人の人間。尊重して関わろう。そのためには自分で自分の機嫌をとれるようになろう!」と決意した。

「子どもに指示・命令をするのではなく、気持ちを問いかけるようにしたことで次第に素直に話をしてくれるようになりました。次女はイラストレーターを志望する子達が通う高校に進学し、今はマンガCGコースで同じ夢を持つ友人たちと楽しそうにしています(笑)」

ハンドメイド製作の活動と出会い

2009年、次女が幼稚園に通うようになったある日のこと。ものづくりが好きな大房さんは、大型ホームセンタージョイフル本田でレジンアクセサリーのコーナーのペンダントに目を奪われた。

「うわぁ・・・!こんなの自分で作れるの?って思いましたけど、ネットで作り方を検索してハンドメイドで作れるようになりました」

006.ハンドメイドのアクセサリー・インテリア雑貨-工作ワークショップもやります

写真:ハンドメイドのアクセサリー・インテリア雑貨

「宇都宮の雑貨屋さんで委託販売をさせていただいてたんですけど、“今度マルシェイベントがあるので出店しませんか?”とお誘いいただいたんです」

このマルシェイベントをおこなっていたのが、大房さんが現在働いている広告代理店だった。イベント中にたまたま社長とご縁をいただき、後に「経理・事務の募集をしているのですが、うちで働きませんか?」とオファーがあって今に至る。

004.イベントスタッフ-コスプレもした-お客様対応が楽しい

写真:イベントスタッフ時にはコスプレも。接客を楽しんでいた。

005.毎年恒例の会社のサプライズバースデー-大好きなハシビロコウ祭壇-ちょうどしていたブローチは自作のコピー

写真:毎年恒例の会社のサプライズバースデー-大好きなハシビロコウ祭壇-ちょうどしていたブローチは自作

会社の取材でのコスプレ

写真:会社の取材でのコスプレ

五年前のバースデーもインパクトあるけど古すぎるかな

写真:五年前のバースデー時

大病をわずらい、価値観が変わった

そんなふうに過ごしていた2022年1月27日・・・次女の誕生日であるこの日、大房さんは乳がんの告知を受けたのだ。

「広告代理店ではイベント運営もしていたんですが、3月頃から抗がん剤の影響で心臓に負荷がかかるのでこれまでのように身体を動かせないようになりました。そのことから、働き方や生き方を見直すことになったんです

2022年5月のある日。元々知人であったスバキリのライターの石原智子さん堀中里香さんのSNS投稿でスバキリの団長の小西さんが関西から栃木にやってくるのを知った。

▼「週刊スバキリ一味」小西光治|石原智子|堀中里香

https://note.com/embed/notes/n1b3771a1a120
https://note.com/embed/notes/n2b982d20f88d
https://note.com/embed/notes/nb0617b54db0d

「スバキリという名前は聞き覚えがあったんです。小西さんに対してバイタリティー溢れる方だなというイメージがあったので、5月21日に栃木に来られる際にお会いしてみたいと思い、石原さんに連絡をとってみました。すると、里香さんも来ますし、ぜひお越しください!”と言っていただけたんです」

スバキリには、会社に属さずに自立して働いている人もいる。刺激のある話をきけるのではと期待して参加した。すると、小西さんやスバキリメンバーは大房さんの乳がんのことや今後のワークスタイルのことで親身に話を聞いてくれたという。

「石原さんが田邉さん小西さんにご縁を繋いでくださって、その場で“もし興味があるならまず面談をしてみて研修してみませんか”と言っていただけて・・・。え?そんなとんとん拍子に話が進んでしまっていいの?と思ったのですが、ご厚意に思いきり甘えて、6月から加入しました」

▼「週刊スバキリ一味」田邉歩美

https://note.com/embed/notes/nc3b6e4d28660

スバキリ加入後、クラウドファンディングにチャレンジするプロジェクトオーナーや、それを応援するメンバーの姿を見ているうちに、大房さんは自分自身の世界観が広がっているのを感じたという。

「discordというアプリを使ってメンバー間で連絡を取り合って、仕事をされているからスマホにすごい数の通知があるじゃないですか?そこで気になったクラウドファンディングプロジェクトを見ていたら、ワクワクするプロジェクトが多くて・・・すごいなと!

「チャレンジする人を応援する」という挑戦の始まり

リターン担当として活動をし始めた時に、メンバーの森本さん「ある言葉」が胸に刺さったという。それは、「支援者さんが本文を読んで高まったワクワク感を冷めさせないリターン文を心がけているんです」というもの。大房さんは簡潔にわかりやすくも、ワクワク感が伝わるように発信していくことを決意した。

▼「週刊スバキリ一味」森本直子

https://note.com/embed/notes/nde56c63cc0ce

私のモットーは、ゴールをズラさないこと。クラウドファンディングの場合、ゴールはプロジェクトの達成ですよね。なので、どうすればそれができるのかを忘れずにメンバーと共に活動していきます」

人が大きく価値観を変えるのは、次の3つだと言われている。

①自分が大病をわずらう
②大切な人との別れ
③環境の影響や学び

人見知りで一人でものづくりをしていた大房さんは、①の影響からチームでプロジェクトを作り上げるスバキリ一味に参加するようになった。「人との関係」は新たなご縁をもたらし、それは人生を大きく変えていく。

「チャレンジする人を応援する」という大房さんの挑戦が始まる。

プロフ-四万騎農園

執筆:水樹ハル

ストーリーの力で世界はもっと美しくなる|スバキリ
黒づくめのファッションに、色の入った大きなサングラス。すらっと背の高いハルさんの風貌は、「元県庁職員のライター」と聞いてぱっと思い浮かべる姿とはずいぶんと違う。ビジュアル系ロックバンドか、カリスマ美容師、または美大生…芸術肌の人を思わせるそのファッションは、「みんなと同じでなくてもよい」という彼の信念の表れだ。対面イン...