時代の先端、“複業“のスペシャリストが目指す、次に”究める“もの

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さぁ、一体どうしたものか。

伊藤緑さんについての週刊スバキリ一味はどこから切り込もうか……。

取材する前、伊藤さんにお願いして、ご本人からいただいた経歴がわかる資料送っていただき、それらに目を通しての第一印象だ。

それまでのキャリアもライターが中心だが、その経歴は実に多彩、本当にびっくりする。しかも、その生き様について語っている記事も、考え方と併せてすでに一般にWebでも公開されている。このままだと、その記事と内容がかぶってしまう……。

そんな複雑な思いを持ちながら臨んだ伊藤さんとの取材。

取材早々に伊藤さんから出てきた言葉は、

「この取材、私にとってとてもちょうどいいタイミングかもしれません!」

というものだった。

「見ての通り、これまでに色んなことをしてきたけど、それは一旦脇に置きます。来年以降の私は『何者かになる!』ということを宣言します!!」

これからの生き方への宣言!

おぉぉ、なんと素敵なことだ。

まさに週刊スバキリ一味にピッタリではないか!(=新しいネタが書けるではないか!)

という喜びのもと、伊藤さんがなろうとしている「何者」とは一体何なのか。少しばかり伊藤さんのこれまで経歴に触れながら触れていこう。

 

バリエーションに富んだ、複業のスーパー・スペシャリスト

「やってみたい、なってみたい、と思ったら、私ってその衝動を抑えられないんですよ〜」

と自分の性格を軽やかに口にする伊藤さん。

これまでに経験してきた職は、とにかくバリエーションに富んでいる。基本はライターだが、そこから派生してまた別のことをやってみる、というものもあれば、純粋に「やったことないからやってみたい」というものもある。その複業職種、ざっと50種類以上を誇る。

週刊スバキリ一味においても、取材した方についてより知っていただくため、経歴の概要を掲載させていただいているが、それだけでは圧倒的に語り尽くせない。

ということで、より伊藤さんのことを知っていただくためにも、細かくここでご紹介したい。

これまでの経緯

■1966年生まれ、愛知県出身。短期大学卒業後、銀行系ソフトウェア会社の人事部に8年間勤務。1995年、28歳で上京。1997年、作詞家デビュー。作詞家として活動する一方、派遣社員やアルバイトを行う。2001年、ITベンチャー株式会社ケイ・ラボラトリー(現:KLab株式会社)に入社。広報担当として勤務。2004年4月より尚美ミュージックカレッジ専門学校で非常勤講師として勤務。同年10月、独立。2005年、宣伝会議社の広報専門誌『PRIR(現:広報会議)』のライターを開始。2006年「広報ウーマンネット」の前身となる「広報ウーマン集まれ!」立ち上げ。作詞、ライター、コミュニティ運営と並行して化粧品、ファッションなど10数社のPR案件を業務委託で手がける。2014年、茨城県庁から受けていた茨城の農産物のPRのため、いばらき美菜部合同会社を設立。2015年いばらき美菜部退任のため、2016年に広報コンサルやコミュニティ運営、プロダクション的な動きを行う企業として、Green Label合同会社へ社名変更。2019年からは業務委託の仕事を減らし、企業の広報担当者の育成と個人事業主の方へのコンサルをメインに行う。2020年4月より、SDGsに関する記事の執筆開始。 2020年4月より、女性コミュニティプロデューサーとして、自治体との仕事を積極的にスタート。作詞家としてはChage、鈴木聖美、石嶺聡子、さくら学院などに歌詞を提供。ゲーム『THE IDOLM@STER』やアニメ『テニスの王子様』のキャラクターソングなども手がけている。

なんとも膨大な経緯……。しかも、「細かく紹介」と言いつつも、これらの隙間にまだ記されていないキャリアが実在する。

・舞台女優
・アイドルマネージャー
・イベントプロモーション
・自治体のSNS運営
・物流会社勤務
・スーパーのレジ打ち

などなど……なんとも豊富すぎるキャリアだ。

物流関係、レジ打ちの仕事は、以前から人手不足が社会問題になっていて記事には書いていた。その時に実際の現場を見たい、経験してみたいと思った職業だった。

2020年以降、コロナ禍の影響もあってこれまでの仕事が減少。

「おぉ、ちょうどよかった。一番大変な時が体験できる!」と思い、この両職種を副業に選んだという伊藤さん。

「レジ打ちは今でもやってまーす」

あっけらかんと笑う。

絶え間なく笑い楽しそうに話す伊藤さんに、ついこちらも引き込まれてしまう。

そんな伊藤さんのキャリアの中でも、「おや?」と目を引くのが“作詞家”だ。小さい頃から言葉を綴ることが好きだった、という伊藤さんが憧れた職業は作詞家だった。

「言葉数の制限がある中で自分の伝えたいことを一つでも入れること、それを他人が歌う。そんなところに魅力を感じていました」

比較的自由なフィールドで言葉を使うことではなく、限られたフィールドで思いを言葉にどう乗せ、いかに伝えるか。

この言葉を聞き、取材前に拝見した伊藤さんの記事の数々が思い浮かんだ。多彩な表現力、視点は、そのようなところから来ているのか、と。

そんな伊藤さんだが、作詞家としてのデビューは少しばかり長い道のりを経ている。

 

時代が私に追いついた!

愛知県で生まれ、三重県の短大を卒業後、最初に就職したのは地元名古屋の銀行系のソフトウェア企業だ。人事部に所属し人事と給与の仕事をしながら、その傍らで歌詞を紡いでは方々の音楽事務所に送っていた。

そして、作詞家として本腰を入れるために会社を辞め上京。伊藤さんの怒涛の複業キャリアはここから始まっていく。

レコード会社に幾度か作詞を送ってはボツという中で、1997年、ついに作詞家として念願のデビューを果たす。

 

CHAGE、鈴木聖美、石井明美といった有名どころから
アニメーション、ゲームと幅広く作詞を手掛けている

伊藤さんの作詞家としてのキャリアは
コチラをご参考

 

「でもですね、なかなか作詞家ということだけで食べていけないから、結果としていろんなことをしなくてはならなくなって……」

派遣社員に、アルバイト、なんでもした。

「それが”複業”の始まりですね」とふたたび明るく笑う。

「ただ一方では、一つのところでずっと働き続けることが、むしろ私にとってリスクとしか感じられなかったということもありました」

2000年初頭でもあったこの当時、働く価値観は「安定した企業で最後まで働き続ける」が主流だ。転職、副業という言葉は、どちらかといえばネガティブな価値観といっていいだろう。ましてや“起業”なんて言葉を口にしようものなら、「世間はそんなに甘くないよ」と方々から言われるのがオチだった。

ところがこの20数年の間で、価値観はどう変わったであろうか。

当時、安定だといわれながらも跡形もなく消え去ったり、縮小してまったりという大企業は数えきれない。

そのような時代の変化の中で、大企業でも副業解禁、複業セカンドキャリアという言葉が生まれ、実力ある人は学生から起業する。2020年のコロナ禍と誰もが想像しえなかった現象では、リモートワークなど新しい働き方まで生まれ、フリーランス人口が増加した。

伊藤さんのこれまでの経緯は、はからずとも今では時代の最先端と言ってもいいだろう。

とはいえ、当時の伊藤さんでも今のような社会になるなんて、さすがに予測はしていない、というかできない。

「やりたいことを素直にやってきた」ことが、偶然にも現代社会の価値観と同調していった。

「あとは、文章を書くときに、できるだけ机上の空論にしたくなかったんです。できることは、自分の手足を動かして経験したことを書きたかった」

ライターとして、表現者としての思いもあった。

 

結局の先のことなんてわからない、だったら今を楽しもう

見えない先のことに気持ちが奪われ、今を悩むより、今できること、やれること、やりたいことをやりきっていく方が、これからの力になる。

伊藤さんのこれまでの生き様から、そんなメッセージを感じる。

「二足の草鞋(わらじ)どころか、六足の草鞋を履いている時期もありました」

やりたいこととして手を出したこともあったけど、生活に困窮して働かなくては、という時時期ももちろんあった。

そんな状況でも、「いいことも、悪いことも私にとっては全部ネタ!」と伊藤さんは明るく笑い飛ばす。

派遣、アルバイト、あれこれ掛け持ちでバタバタとしていても、それを大変とするか、楽しいとするか、それは本人次第。

実際に「六足の草鞋」と言った時の伊藤さんの表情はとても楽しそう。

茨城県庁から受けていた茨城の農産物のPRのため立ち上げた、いばらき美菜部合同会社時代(2014年)

そもそもライターとしてのキャリアも、作詞家として生きていくために始めたWebサイトの制作会社でのアルバイトから始まっている。HTMLが書けて文章が書けたら食いっぱぐれない、と思っていた。そこからライターとしての実績を重ねている。ライブレポート、芸能人インタビュー記事、今ではSDGsライターとしてなど、そのフィールドもとても幅が広い。

このような豊富なキャリアから、伊藤さんは「副業アドバイザー」として、会社員や個人事業主の人たちに自らの経験を惜しみなくシェアする活動もしている。

人生のキャリアというものは、どこでどうなるかわからない。

目標を決めて進むことも確かに大切だが、その一方で、今この瞬間をいかに楽しむことで、新たな道が見つかる可能性があることも、私たちは知っておいた方がいいだろう。

 

新たな楽しみをまた見つけた!

まさに多様性に富んだキャリアを持った伊藤さんだが、今、新しい境地に目覚め、これまでとはまた違う目標に向けてアクションを起こそうとしている。

きっかけは、今年の9月に、知人から教えてもらった大学院の短期プログラムだった。

「テーマは、『地域イノベーター養成』で、仙台校で行われるにも関わらず関東からもかなり応募があったようですが、なんとか選んでいただけて、月に2回ほど東北に行っています。宮城県はもちろん、これまで行ったことがなかった、秋田県や岩手県にも行きました。2月には山形県にも行くかもしれません」

これまでは、複業者として様々な顔を持ち、何者にでもなっていた伊藤さん。しかし、こうした地域イノベーターとしての体験などを経てその思いは、限定した「何者か」になることに意識が向き始めたという。

では、伊藤さんが目指す「何者か」とは?

「今、研究者になりたいんです。その対象も決めています。“地域”をテーマに“神社”と“空き家”についてです」

神社と空き家に興味があるから、それを追求したい、ということではあるのだが、厳密にいうと、入口として神社、空き家があったわけではない。

この順序は、何かを「調べること」「研究すること」に没頭したい、つまり「何かを究めたい」という気持ちがまず先にあるという。

「これは2020年にSDGs関連の記事を書き始めたことが、きっかけになっていますね。記事を書くにあたって、各省庁の報告書やデータ、年ごとの調べを検索するじゃないですか。それが本当にもう楽しくて楽しくて……」

今では、関西テレビの番組で出演者の発言やコメントに、SDGsライターとして解説もしており、ほぼ毎日、時間があれば省庁のデータを検索しているという。

「最新年度のデータとか見つけるとワクワクします」

相当なデータ・マニアとなっている。

伊藤さんが興味となっている根幹は、「調査することへの楽しさ」。その思いが醸成された土壌に、同じような時期に興味を引いた神社、空き家、というものが刺さっていった、という流れだ。

神社は、その発端は神社めぐりから始まっている。同じ思いを持った仲間と神社をめぐっているうちに神社のこと興味を持ち始め、あれこれ調べ始めたら、面白い世界が見えてきた。そうなると、もっと追求したくなってきたという。

空き家については、2022年から2拠点での仕事を始めた愛知にある実家が、そのようになる可能性もあり得る、という実情からだ。

「とにかく興味を持ったこの神社と空き家について調査・研究して、論文も書きたい」

これまでのライティングが、論文に変わろうとしている。

ただ、その願いを叶えるには、あるものが必要だ。

学歴だ。

「研究して、しかるべき論文を書いて物申すには、やはり学歴が必要なんですよね」

伊藤さんの最終学歴は短大卒。そこまでのキャリアでは論文発表ができない。だから、今度は学歴でキャリアを増やそうとしている。

実際にそのアクションも、仕掛け始めている。

地域やマーケティングに関する学会への入会と、専門職大学院への挑戦だ。

 

なりたい自分をもっと究める

「大学院は、学費が補助される仕組みもあるのですが、私の経歴では難しいようで、今、どういう方法があるか、を考えているところです」

もともとは、年明けに都立の大学院の受験を考えていた。しかし、これがどうも難しそうだ、という、

「でも、それだから人生は面白いんですよね」と笑う。

伊藤さんにとって、多少の障壁は、人生の面白さ演出するアイテムに過ぎない。

目指す場所は、「研究者」になること。

「多くの人が選ぶ一般的な道で進めるとは思っていません。だってこれまでも、普通の道で得てきた職業はないですから」

なんとも力強い。

とにかく、自らできる行動の範囲の中でできることを探し、見つかれば即行動だ。

「やってみたいと思ったら即行動」の信条は、いくつになっても変わらない。

何せこれまでにもやりたいことをそのまま実現してきた伊藤さんだ。多少時間がかかったとしても、しっかりと研究者になっていそうだ。

「実は、ちょっとばかり野望があるんです」

ここにきて、研究者になることについて、また別の真意があるという。

2023年の4月の「ABEMA Prime」の収録時の控室前で。毎日21時から生放送しているニュース番組にゲスト出演。

「ギャップのある人間になってみたいんですよね」

とさらにその奥にある心の内を素直に語ってくれた。

「『地域をテーマに神社の研究や空き家とかの研究している伊藤さんって、なんかアイドルの歌詞とかも書いてうるらしいよ』って言われたいんですよ〜」

難しいことを論じている一方で、それとはまったく逆の顔を持つ、という意外性。

「自己顕示欲がきっと強いんでしょうね」と笑う。

いやいや、結構これまでの複業キャリアだけでも、そこそこの意外性はありますよ、と思ってしまうが、伊藤さんはさらにまだその上を行こうとしている。

伊藤さんの表情は、とても楽しそうだ。

いつ、いかなる時でも、その時々の状態がどうあったとしても、目の前のことをどう楽しんでいくか。

「いいことも、悪いこともネタしたらいいじゃん」

この言葉が再び心の中で響く。

そんな心構えが、人生を楽しむコツなのだろう。

気持ちが滅入ってしまった時に唱えるおまじないでもある。

「研究者=何かを究めようとする人」

「いやいや、すでにもう人生を楽しく生きること、『究めて』ません!?」

と思わずツッコミたくなる(笑)。

これから先に究めたこと、その顛末詳細がどんな展開となったのか、ぜひまたお聞ききしたい。

きっと楽しいはずだ。

 

Another Story 〜これは、お見事!!〜

気がつけば、伊藤さんの取材は2時間半超。

あまりにも楽しすぎた会話、あっという間に時間が過ぎ去った。

どこから切り込もうか、という取材前の悩みは、どこを切り取って伊藤さんの魅力を伝えよう、という悩みに変わってしまった。

とにかく話題が豊富すぎ。

でも、本文ではあれこれ迷いながらも、なぜかAnother Storyでは、「これを書こう!」という思いががあった。

伊藤さんは、関西テレビの『世界をちょっとだけ変えるサミット』という不定期番組で、出演者がSDGsに関して自由に発言したことについて、SDGsライターとしての伊藤さんが解説するというコーナーがある。

伊藤さんの魅力の一面として、その解説の一部をご紹介したい。

それは、2023年11月26日に放映での伊藤さんの解説だ。

これを読んだ時、あまりに秀逸すぎて、「これはお見事!」と思わず口にしてしまったぐらい。

同じライターとして、これは「ぜひとも見習いたい!」という視点だ。

この日の出演者に対するコメントテーマは「あったらいいな♪夢のハイテク」。このテーマに出演者がさまざまなコメントをしている。

「すべてをこなしてくれるマシン」

「服を着たままクリーニングできる洗濯機」

「食べ物合成プリンター」

出演者の自由奔放なコメントをSDGsの観点から、伊藤さんはとても素敵に解説している。

「あったらいいな」という言葉を、「今困っている人たちを救うもの」という意味に置き換えて、SDGsに関わる解説へと見事に展開している。伊藤さんの視点や発想、言葉遣いのセンスだけでなく、「優しさ」までも伝わってくる。

圧倒的に見事な解説をぜひ見てほしい!
詳細はコチラ!!

「番組プロデューサーからも、『こんな視点のコメントが来るとは思わなかった!』と大好評でした」

やはり!

多くの人がきっとそう感じるだろう。

爆発力のあるこのセンスも、まさにバリエーションに富んだキャリアと、究めることを楽しんでいることから発揮されているのだろうな、と思わずにはいられない一面。

その魅力とセンス、実にバリエーションに富んでいる。

取材・執筆ー白銀肇

 

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