柔軟な思考と軽やかなフットワークで、我がレールをひた走る

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「ペルシャの歴史を学びたくて、佐賀から出てきて京都の佛教大学に入学したんですが、お目当ての先生が在籍してなかったんですよ」

というのが、インタビューの最初のくだりだ。

「入学してからシラバス見たら、お名前がなくて、あれ?って。」

えっ…お目当ての先生はどうされたんでしょうか?

「たぶん亡くなられたのか退官されたか…」

た、たぶん?

その先生の講義を受けるのが目的で入学したはずなのに、在籍していなかった理由を確認していない、というところに驚いた。

(わたしだったら絶対確認するけど、しないんだ!)

そもそもこの時点でわたしが知っていた津田さん情報は、Facebookに設定された写真だけ。それがこのサムネイルの写真だ。

(この写真…このひとは、鉄オタに違いない!)

デザイナーで、鉄オタで、歴史好き。
いったいこの人はどういう人なのだろう?とがぜん興味がわいた。

どうやったら絵描きになれる?

津田涼子さんは、就職してから18年にわたり、デザイン関連の仕事をしてきた叩き上げのデザイナーだ。

ならばきっと大学でデザインを学んだのかと思いきや、デザイン系の学校すら行っていないのだという。

「そもそも、デザインのための学校があるって知らなかったんですよ」

津田さんの故郷は九州は佐賀県の伊万里市。見渡せば360°緑に囲まれた田舎で生まれ育った。小さなころから絵が好きで、暇さえあれば絵を描いているような子どもだったそうだ。

佐賀県伊万里市と言えば伊万里焼

「何かやりたいって言えば、全部やらせてくれるような両親でした」

マラソン大会で遅いのが嫌で嫌で、習いに行きたいと言ったら行かせてくれたし、水泳もバレーボールも塾も、希望したものは何でもやらせてくれたらしい。それなのに、

「『絵描きになりたい』って言ったら、『いや、どうやって食べていくんですか?』って言われて」

人生で初めて親に否定された、と衝撃を受けた。小学生の時の話だ。

「でも、どうやったらなれるのかもわからなかったんです」

美術教室に行けばよかったのかもしれないが、当時住んでいたエリアにはピアノ教室や囲碁教室はあっても美術教室はなかった。少なくとも小学生の行動範囲にはなかったし、知らないから希望しようがなかったのだ。

ドはまりしたペルシャ史ではなく

それでも絵を描くのは好きで、高校では美術部に入部。友人が音大を目指すことになり、音大があるなら美大もあるだろうと思ったけれど、学ぶなら絵よりも学びたいものがあった。それが歴史だ。

「歴史の先生が好き」という理由で歴史を選んだ中学の選択授業で、その面白さに目覚めた津田さん。その先生の専攻がペルーだったことからマヤ文明にあこがれたのが、歴史好きの始まりだ。

中学・高校といろんな歴史の本を読み漁る中、近所で行われたペルシャ文明の展示に心を奪われた。さらに古代ペルシャ帝国をモデルにした小説『アルスラーン戦記』にドはまりしたことが、ペルシャ好きを決定づけた。

「仏像が好きなんですよ、6世紀ぐらいの。」

海外から来た仏像は、入ってきたルートによって全然顔が違うのだそうだ。京都や奈良のお寺には当時のものがたくさん残っているから、それらを見に行きたい!と京都の佛教大学を受験し、見事合格した。

しかしお目当てのペルシャ史は先生がおらず、あとは日本史か中国史か民俗学。ならば「中国も好きだし」と中国史を選択し、ペルシャ史は自力で学ぶことにした。

そもそもペルシャ史でやりたいのはシルクロードやそこを通って伝来してきたものたちの歴史。仏教もそのひとつだ。佛教大学故、仏教を学んでいれば資料は山ほどあったのだ。

この柔軟な考え方が、津田さんの一番の持ち味ではないだろうか。

3日で叩き込んでデザイナーに

半年ほどオーバーしつつも卒業し、就活を始めた津田さん。デザイナーになったのは、一足先に就職した友人から「Photoshopやillustratorを使える人を探してるんだけど、どう?」と誘われたのがきっかけだ。

絵は続けていたのでPhotoshopは使えたけれど、仕事としてやったことはない。3日でデザインソフトの使い方を叩き込み、そのままデザイナーとして就職、実務経験を積みながらデザインを勉強した。まさにOJTだ。

最初の職場はいわゆる街の名刺やさん。しかし、残業代もろくに出ず、タイムカードも嘘だらけ。ブラック企業だと気付くのにそう長くはかからなかった。

「少額裁判を起こして、給料と残業代をもぎ取って半年で辞めました」

翌日から就職活動して、次に入ったのは出版社。2つの出版社で紙面デザインを担当した後、出版社と懇意にしていた飲食居酒屋チェーンのホールディングスから引き抜かれ、インハウスデザイナーとしてフード業界へ

「カフェや居酒屋の店内デザインから、サイト構築や機関誌デザインなど、いろんな経験をさせてもらいましたね」

結婚式は色々てんやわんやだったようだ

そして結婚。専業主婦も経験したが「3か月で耐えきれなくなって(笑)」、焼きチーズタルト専門店を展開する会社でデザイナーとして再就職。デザインだけでなく、企画部という名で様々な難題をこなしていった。

一見コンセプトから外れた原材料を使った商品について、様々な資料を調べて実は沿っているとアピールしたり、「パンを風呂敷に包んで高級感を出したい」という要求をかなえるために京都の問屋でお手頃なのを探したり。

「お客さまは風呂敷いらないって言うと思ったんですけどね、特に大阪の人は…」

案の定言われたそうだが、会社側の要望とお客様の希望をくみ取っていい塩梅の落としどころを探す抜群のセンスはきっと、このころに培われたに違いない。

そんな順風満帆だったところにやってきたのが、新型コロナ流行による緊急事態宣言だ。フード業界は軒並み大打撃を受け、津田さんも整理解雇を余儀なくされた。

PABLO5周年記念パーティー

40歳にして転職は既に5社。これ以上はもうやだな、と思ったところに懇意にしていたカメラマンさんにフリーランスになることを勧められ、独立に踏み切った。

「今のうちならまだ頑張れる、と思って」

津田さんは今フリーランスとして、ポスター・パンフ・ロゴなどいわゆるグラフィックはもちろん、WEB構築やecサイト、動画編集、イラスト、アニメーションなど、デザインに関するあらゆることを取り扱っている。

『世界の車窓から』にあこがれて

大学での学びとは全く違う仕事に就いている津田さん。今でも仏像は好きで展示会等にはよく足を運ぶそうだが、いろいろなところに出向くのは他にも理由があるらしい。

鉄道が好きなんです。しかも乗り鉄です。『世界の車窓から』がほんとに好きで

2012年9月に行ったイギリス弾丸旅行は、5泊3日でロンドン→ヨーク→バーミンガムを電車で巡ったというからその熱量がものすごい。約500マイルの鉄道の旅は、あこがれの番組『世界の車窓から』そのものだ。

約500マイルの鉄道の旅

家族で出かけるときはいつも車で、高校は自転車通学。近くから出ていた高速バスで福岡までノンストップで行けたし、京都はバスがメインの移動手段。どこへ行くにもバスか車だったため、電車にとにかくあこがれた。

「就職してから"鉄"が爆発したんです」

旅行に行くなら特別な列車に乗れる旅程を選んだり、サンダーバードに乗りたくて旅行先を金沢にしたり。
サムネイルの写真は四国千年ものがたりという、香川と徳島を結ぶ美しい観光列車。大阪からのぞみ→マリンライナー→在来線と乗り継ぎ、観光列車に乗ったらまた電車で帰る、オール電車の旅がとにかく楽しかったという。

ヨークの鉄道博物館でパシャリ

「コロナがなかったらウズベキスタンに行くはずだったんです」

そのころ"社畜を極めて"いた津田さん、上司とバチバチにもめていたらしい。「寺院の上でウズベキスタンの風を浴びて冷静になる!」と、突如ウズベキスタン行を計画した。

ウズベキスタンの地下鉄の駅はどれもまるで美術館のように美しいそうで、何よりそれが見たかった。首都サマルカンドは、シルクロードの中継地。壮麗な寺院が立ち並び、警備員にわいろを渡すと上まで登れるというのだ。

ウズベキスタンの地下鉄のホーム

あとは出発するばかりだった2020年3月20日、緊急事態宣言が発令され、ウズベキスタン行はあえなく中止となった。

ウズベキスタンに行ったら会社を辞めるつもりだった予定が一転、継続することに。でもその後の数か月でオンラインの仕事などできることがさらに増え、役立っているというから、世の中うまくできている。

「もう一回作れる」って考える

デザインは、一発でOKが出るものもあれば「なんか違う」という一言で作り直しになるものもある。理由のない「なんか違う」はストレスがたまるし、作り直しは時間の無駄だからできる限りやりたくない。

そんな津田さんの考え方を変えた、後輩デザイナーの一言がある。

彼女はまだキャリアも浅く、「なんか違うね」「もうちょっといいの作れないの?」と理不尽なパワハラを受けていた。でもそんな時に彼女が必ず言っていたのがこの言葉だ。

「もう一回作れる!」

それを聞いて、衝撃を受けた。「この子はすごい」と思ったそうだ。

仕事としてのデザインを突き詰めていくと、どうあがいても効率のことを考えざるを得ない。でも、イライラしながら作ったものがいいものになるわけがない、と気づかされた。

どうせ作るなら『もう一回作れる』って考えたほうが楽しいですよね」

友人の結婚式で、ビアレディーに扮する

外注を使う立場だったころ、「気に入らなければ切ればいい」とひどい扱いをする発注元も目の当たりにしてきた。今、自分が外注先になり、理不尽な注文の対応もこなせているのは、この言葉があるからだ。

もちろんいらだつこともあるけど、作り直しは「失敗した」からじゃない。「もう一回作るチャンスをもらえた」って考えればいい。

「『もう一回作れる』、は世界に広めたいですね」

3年目に向けて、今が勝負

件の後輩デザイナーは今や、世界のあちこちを飛び回っているそうだ。津田さんもフリーランスとして、今とても充実しているという。

アバターはコウテイペンギン

とはいえ、自分はばりばりできるタイプではない、と津田さん。

「『面倒見てやらな』と思ってもらえるタイプらしいんですよ」

フリーランスになってたくさんの人と出会い、数々の衝撃を受け、さまざまな助言や手助けをしてもらった。スバキリ一味に入ったのも、先出のカメラマンさんの誘いで入ったBNIのチャプターの方からのつながりだ。

「でも、『1年目2年目までは人が助けてくれるけど、3年目は地力が出てくるよ』、って言われたんです」

そんな風に言ってくれる人が周りにいることに、恵まれているな、ありがたいなと思うばかりだという。

3年目は自分の仕事の結果が返ってくる年。子どものころなりたかった絵描きとして独り立ちして、来年で3年目だ。

「ならば2年目の今が勝負か、と思ってやっています」

結果がどんな形で返って来るか心配だというが、これまでの努力と揺るぎない経験が、きっと後押しをしてくれるはずだ。

わいろを渡して風を浴びたい

次に行きたいところを尋ねたら、国内なら山梨だという。フルーツがたくさん取れるところが故郷の伊万里と似ているそうだ。山梨側の富士山も見てみたいし、宝石も気になる。実はサッカーも好きなのだとか。

フットサルの試合に出場!

先述のイギリス旅行では、3都市を移動後押しクラブのアストン・ヴィラFCを見に行き、さんざんお酒を飲んだそう。翌日の帰国の日、起きたのは飛行機が飛び立つ4分前!速攻で便を取り直して事なきを得た。

「トラブルに慣れすぎてて動じないというか…」

ルームキーをなくしたと思って部屋を出たらドアに刺さっていたり、ねずみ講に連れていかれて拒否したりは序の口だ。変質者につけられている最中にTwitterで実況した上、あれこれしようとしてきた変質者を撃退したのもすごいし、逮捕された変質者に「被害女性(津田さんのことだ)が怖かった」と供述され、警察に「犯人を脅しにかかるのは良くないです」と諭されるなんて、まるでマンガだ。

もちろん危険な目には遭ってほしくないが、次にどんなおもしろエピソードが生まれるのか、ひそかに楽しみだったりする。

山梨は新幹線で行けないところも、乗り鉄心をくすぐるようだ。電車で大阪から山梨に行くには、一旦東京まで出る必要がある。どうやら片道8時間ほどかかるらしいのだ。

「ウズベキスタンに行く方が下手したら安いかも(笑)」

もちろん、ウズベキスタンに行くこともあきらめていない。ウズベキスタンの食事はとても日本に似ているそうだ。緑茶や紅茶が一般的だし、カスうどんのような麺や、なんと餃子もあるらしい。

「わいろを渡してウズベキスタンの風を浴びたい。今は人生に困っていることはないんですけどね」

と話す津田さんは、とかく人生を楽しんでいるに違いない。

ウズベキスタンの首都、サマルカンドの寺院

取材・執筆―堀中里香

「やりたいこと」をやって、自分の世界を設計するUIエンジニア|スバキリ
「なんでこんなに書いているんだろう? というぐらい書いているんですよ〜」最近の活動状況について聞いたら、堀中さんはちょっと軽い悲鳴のような声を上げつつ笑って答えてくれた。スバキリ一味や、地元栃木で年4回刊行されるフリーペーパー「TANOKURA」とその周辺メディア、そこから派生してハウスメーカーや工務店などのパンフレッ...