自分らしい「自己表現」のかたちを追い求めて

メンバー紹介

アーティストとデザイナーのあいだには大きな違いがある、とスバキリ一味のアートディレクター よらさんは言う。自己表現であるアート。クライアントの意図をくみ、商業的な意味合いを持って制作していくデザイン。

今回小野さんの取材を通して、アーティストとデザイナーの中間に、クリエイター=作家、と呼ばれる職業が存在するということを痛感した。自分がいいと思っているものを、世間に受け入れられるかたちで表現していく―それはまさしく、アートとデザインのあいだに位置するものだ。

今回の主役、小野祐子さんは、スバキリ一味にリターン画像担当のデザイナーとして所属する傍ら、Aether io(エーテル イオ)という屋号の元、くらげをモチーフとした作品を中心に制作・販売をするクリエイターとして活動している。

また、同じくスバキリ一味のデザイナー、おととごとさんこと小川ゆか子さんが代表をつとめるイベント企画団体「うみハマ~深い海にハマる~」では、小野さんは運営メンバーとしておととごとさんを支える。

アーティスト?デザイナー?クリエイター? 自分が本当に作り出したいものを追い求め、小野さんは少しずつ姿を変えてきた。

クリエイティブな方へ

子どもの頃から絵を描いたり、彫刻刀で何かを彫ったり、手先で細かいことをするのが全般的に好きだったという小野さんは、中学生にして、すでに「将来はクリエイティブな方に行きたい」と思っていた。

そして高校生になって進路を考えた際、「絵描きで食えるとは思えない」と芸大のグラフィックデザイン学科へと進学する。

「ただ……芸大在学中に、デザインってクライアントへのヒアリング力とかPR力とかも必要になるというのに気づき、こりゃ私には無理だなって思ったんです。今思うと私が選ぶべきだったのは工芸学科とかだったのかもしれませんね」

在学中にインドのアリワーク刺繍という、かぎ針を使うビーズ刺繍に出会い、それで自分を表現するようになった小野さん。テレビでゴッホの絵をビーズ刺繍で模写した作品を見て、「私もビーズで絵を描きたい!」とはじめたのだそう。
当時、小野さんが心の奥底で求めていたのは、デザイナーではなくアーティストになることだったのだ

大学2年生の頃から仲間たちと年に1度グループ展を開催。イラスト、日本画、服飾と、全く違う分野の作品を集めた展示会は、その後数年続いた。

グループ展で友人のダンスの衣装を手掛けることも

自己表現を仕事にしたい

芸大卒業後は、在学中から続けていた食品サンプルの会社で、illustratorを使ってのメニューやポスター制作というアルバイトをしながら、刺繍作品の制作を続けていた。

アリワーク刺繍をはじめるきっかけとなった、テレビで見かけた東京の作家さんのところまで、月に1回大阪から夜行バスで習いに行き、スキルを磨き続ける小野さん。

自己表現を仕事にしたいと思っていたのだけど、どう仕事にしていったらいいのか分からなくて……。誰か私のこと見つけてくれないかな、という消極的な気持ちでグループ展を続けていた」のだという。

「手仕事をたくさん取り入れたアパレルブランドでの仕事」を紹介してもらうも、新店舗オープンのタイミングと重なり、作り手ではなく販売員として働くことに。

「ほとんどお客さんの来ない店で、頼れる先輩もいなくてひとりぼっち。結構しんどかったですね…どうしたらお客さんがくるか考えて、ブランドのブログを書いたり、おまけのブローチを作ったりしました。ときどきDMのデザインも頼まれていましたね」

2005年、このアパレルショップでのバイトを辞め、「アート系の仕事」を探し、出版社の面接を受けるも不採用。ちょうどボランティア募集をしていた、ワークショップイベントに参加、その後もアルバイトスタッフとして参加するように。

DOORS ドアーズ|文化を育てるワークショップのコーディネーター
ワークショップフェスティバルと、ワークショップ講師の検索サイトを運営し、ワークショップで人を繋げます

ここでも小野さんのデザインスキルは重宝され、パンフレットの制作を任される。グラフィックデザイン学科を出て、illustratorを使えるというと、必ずと言っていいほどDMやパンフレットなどのデザインを頼まれた。

2000年代初頭、SNSがまだ普及する前……アーティストが「見つけてもらえる」機会は、今よりうんと少なかった。なんとかアートの世界に近づきたいと道を模索する一方で、デザインができるスキルは行く先々で自然と求められる、という環境。小野さんは、少し視点を変えてみた。

古いものを活かす

2010年、小野さんは4カ月間の洋服のお直しの学校に通うことにした。

「子どもの頃から古いものが好きで、近所の子たちのお下がりを着るのがすごく嬉しかったんですよね。机や国語辞典やそろばんは、父や伯父からのお下がり。そういう古いボロボロのものってかっこいい!と思っていました。古いものを大切にできる仕事っていいなと思ってお直しの勉強をしてみました」

「古いものが好き」という感覚は、誰にでもあるものではないと気づいた小野さん。ビーズ刺繍という自分の感性を表現する手段とは別に、「お直し」という生活者に役に立てる場で「自分の感性」「手を動かすことが好き」という特性を活かす道を見つけたのだ。

自分の「好き」を少しずつ違う角度から眺め、活動範囲を広げていくこと。それは自分らしさを実現するために必要な工程なのかもしれない。

同年に結婚。移り住んだ松本市では、アパレル店で販売員をしたり、紳士服店のお直し部門に勤務したりしながら、ビーズ刺繍での創作活動を続けていた。

(左)2011年 「祈り」 3.11の半月~1カ月後くらいに、何かしていないと落ち着かなくなって創った作品

松本市での「水辺のマルシェ」への出店も開始。自分のビーズ作品を世間に届ける方法を探っていた。

クラゲとの出会い

2015年に出産。このことは小野さんにとって大きな転機となった。

出産で制作活動は一度全部ストップ。今後もビーズ作品の制作を続けるか迷っていた時期、生まれた子を抱いて、海遊館に行ったときのこと。
大水槽でふわふわと揺られるクラゲを見て、海のものだけど宇宙のようだと感じ、とても癒やされたのだという。家でも眺めていたいけれど、飼うのは難しいだろうし……という軽い気持ちでクラゲのモビールを作ってみた。

そんなときに誘われたグループ展で、白いサイズ違いのモビールを出展すると、サイズ違いで全部買っていくお客さんが現れた。それは今までに経験のない買われ方だった。

自分のいいと思うものと、世間のニーズが一致するところがあるのかもしれない…そう考えた小野さんは、自分の内面も、変わってきていると感じていた。

「子育てを通じて自分と向き合う時間が増え、思春期の自分―子どもの頃から持っていた負の感情や、世の中への反発をやっと手放せた気がするんですよね。作品を通じて自分の感情を吐露するのはもういいかな、って」

「イメージをかたちにして、それをお客さんが手にとってくれて、癒やされてくれたら嬉しい、というところまでがセットになっています。買って喜んでもらっているのを見ると、自分が世の中の役に立っているのかなって思えたんです」

小野さんがクラゲにドハマりしたのは、その見た目の美しさだけではなく、その生態の不思議さからだった。

一生のなかで、何度もかたちを変え、無性生殖で自分のクローンをつくって増殖する時期もあれば、有性生殖する時期もある。まるで生物の進化を見るようなクラゲの一生にとても興味を持ったのだそうだ。

出産後も制作活動を続けるのならしっかりと仕事にしたいと、ブランディング塾にも参加し、自分が惚れ込んだクラゲを制作のテーマにし、お客さんが求めるものへと展開していくことに。

ピアスを瓶に入れて販売する方法は、保管しながら眺めて癒やされてほしいという思いから

アーティストからクリエイターへ―小野さんが変わりはじめたときだった。

うみハマとの出会い

クラゲと出会ったのち、小野さんの世界は広がった。
2019年におととごとさんが『深海生物を愛でる会』を立ち上げ、Twitterで参加者を募集しているのを偶然見かけ、面識もなかったが、その場で参加したいとDMを送ったのだ。

その後このコミュニティからグループ展が開催される。「深い海にハマる展」通称「うみハマ」のはじまりである。小野さんのなかでも、何かテーマ性のあるイベントをやりたいと考えていた時期だったのもあり、参加することに。

「現場に行ってみたらほんと楽しくて。深海の環境の話をこんなに普通にできるんだって感激したのですよね!例えば“チムニー”なんて単語、普通は分からないですよね。それがうみハマでは通じるんです!」

何を軸に制作をするか、が変化してきていた小野さんに、「仲間」という新たな軸が加わった

「クラゲは深海生物ではないから、傍観しているつもりだったけれど、うみハマを好きになっちゃったから……」小野さんは、ちょっと困ったような、嬉しそうな顔をする。そして同時に、「うみハマを盛り上げたい」と運営メンバーとして力強い言葉を発するのだ。

2022.10に行われた「うみハマ展vol.2」では、開始前に50名もの人が会場に並ぶ大盛況

アーティストは孤独だ、なんて言葉も耳にする。それは、自分のなかのものを表現できるのは、自分しかいないからだろう。

一方クリエイターたちにとって、制作の場面は孤独だったとしても、「どうやったらお客さまに届くか?」を一緒に考える仲間がいたとしたら、それはとても心強いことに違いない。

これからのこと

2022年7月、子どもが小学生になったタイミングで仕事を増やしたいと、おととごとさんの紹介で、スバキリ一味にリターン画像担当として加入。
苦手意識があったクライアントとのやりとりなく、手を動かしてデザインできるこの仕事は、自分に合っていると感じているのだそう。

また、スバキリ一味の居心地のよさをこう語る。

「いろんな人がいるのを眺めているのは気持ちがいいんです。一人ひとりが独立していて、普段ディープな付き合いではないのだけれど、何かあったら助けてくれるかも、自分も役に立てるかも、という気持ちになるんです」

クリエイターとしてのAether io、うみハマでのコミュニティ運営、スバキリ一味でのデザイナーの仕事。この3つの活動が、それぞれいい影響を与え合えながら、小野さんの表現のかたちは変わっていく。

小野さんの部屋には「ゆっくりいそげ」の文字が貼られている。

そのときどきの出会い、感情に向き合い、心地よい方へ……一見ふわっと水にたゆたうくらげのようにほんわかした雰囲気だが、芯はしっかりとした小野さんらしい言葉だ。

アーティストとして、「誰か私を見つけて……」と心の中で叫んでいた20代の頃から、小野さんはゆっくりと変わってきた。そしてこれからも、少しずつ自分が求める方へと進んでいくのだろう。

取材・執筆―石原智子