人の話をじっくり聞き、向き合って生きる

メンバー紹介
飯野さん経歴
飯野さんの経歴

「例えば、クラウドファンディングのプロジェクトを初見で見る方ってまず、サムネイルのデザインを見ますよね?クライアントにはお客様や社会に伝えたいことがあって、それを視覚的に伝えてご縁や関係を作るお手伝いをするのがデザイナーという仕事だと思っています。責任重大ですが、デザイナーとして一番大切にしているのは、クライアントの要望にじっくり耳を傾けて向き合っていくことです」

そう語るのは、クラウドファンディングプロジェクト制作の代行業務をしている「スバキリ一味」のサムネイル担当、デザイナーの飯野沙矢香さん。第1印象は、「決して圧をかけたりしない安心できる人」。取材中は笑顔でゆったりとしたペースで1つ1つ大切にしている想いを伝えてくれた。

飯野さんは約10年の専業主婦生活から社会復帰をした3児のママでもある。飯野さんを理解する上で欠かせないキーワードとして「じっくり話を聞き、向き合う」というものだ。なぜそれを大切にしているのかを聞いてみると・・・

「クライアント自身も自分が伝えたいことや、イメージがぼんやりしていたりモヤモヤしていることも多いです。お話をじっくりと聞くからこそ、視覚的に伝わるデザインを生み出していけるんです」と答えてくれた。

画像8
画像9
(参考)飯野さんがデザインしたYouTube動画のサムネイル

SNS・インターネット上にコンテンツが溢れる現代。

「視覚的に伝わるデザイン」があるからこそ、クライアントが努力して作った商品やサービスが人々に届きやすくなる。言い換えると、消費者は自分が求めていたものを手にしやすくなる。それによって生活が便利になったり、悩み事が解決してポジティブな気持ちにもなれる。そうして社会に活気が増していく・・・!とても重要な仕事である。

ここで気になったことが、飯野さんはいつから「じっくり話を聞き、向き合う性格」だったのかということだ。この切り口から飯野さんの人生ストーリーに迫ってみた。

「じっくり話を聞き、向き合う」のルーツ

幼稚園の頃

「幼稚園の頃・・・年長の頃には、周りの子どもたちの意見をまとめていたりしました。うっすらとした記憶なんですけど・・・具体的にいうと、多数決をとって希望が多い遊びをして、その後は少数意見の遊びをするっていう感じです。ケンカをしていたり、揉めてるのを聞くのがイヤだったからやっていました

幼稚園で聞き手に回っていた飯野さんは、家ではどんなふうに過ごしていたのかというと、長女であったこともあり2歳年下の弟の世話をしていたという。また、養鶏場で働く母からも職場の話を聞いていた。話を聞いて「ありがとう」と言ってもらうことも嬉しかったと話してくれた。

このように、物心がついた時点で自然に聞き手に回っていたというのは、天性の素質といえるのかもしれない。「人の話を聞ける力」ことは武器になり、いじめとも無縁の学生生活を送る。

「手に職」を基準に進路を選択

画像16

1999年の中3の夏のある日のこと。高校受験・進路を決めるタイミングがやってきた。

大学も専門学校も行かず、高校を卒業したら働くことを決めていました。勉強が好きではなかったし、家が裕福でもないし。動物が好きでトリマーには興味はあったものの奨学金を借りてまでやる気持ちは湧いてこなかったですね」

そんな飯野さんは、学歴を基準にするのではなく、いかに「手に職を付けられるか」を基準に進路を選択したという。

「図工が好きだったり、美術部に入っていたこともあり、ものづくりや絵を描くことが好きだったんです。先生と話していたらデザイン流通科がある宮崎県立都城農業高校」のことを教えてくれました」

自宅からその高校までは自転車で約20分。通えるエリアであったことや、色彩検定などにチャレンジできることに興味が湧いて、受験を決意。無事に入学をして高校生活がスタートした。

美術部で描いた絵
美術部で描いた絵

「選択肢」は自ら取りに行く

高校生の頃、友人たちと

高校に入ってからも美術部に所属。デザイン流通科では、花のデザインを手描きで学んだという。色彩検定も取得し、高校3年生になった秋のある日に学校から求人情報が提示された。

全てを確認したが、それらの求人情報の中には惹きつけられる仕事や会社はない・・・とはいえ、「とりあえずこの選択肢の中から選ぶ」とはならなかった。飯野さんは地元のまち中で配られている求人のフリーペーパーや、新聞に入っているチラシを片っ端からかき集めた。

すると、

【デザイナー募集!】

の文字を見つけたのだ。

「ある中小企業で、求人の情報誌を発行していたり名刺、チラシ、ポスターなどの制作と印刷をしているところがありました。20歳以上募集と書かれていたんですけど、先生に“ここを受けたいんです!”とお願いしたところ、社長の計らいで面接してもらえることになり、無事に入社できました」

忘れられない8つ年上の先輩の言葉

画像16

入社した飯野さんに立ちはだかったのが、パソコンを使った編集作業だ。高校のデザインの授業は手描きであったため、まったく勝手がちがう。当時はブラインドタッチもできなかったという。

職場にいるデザイナーは飯野さん含めて4名。「早く戦力にならなければ・・・」という焦りと不安が新社会人の彼女にのしかかる。

そんな飯野さんを支えてくれたのが、8つ年上の26歳のロングヘアーをお団子にした優しい女性の先輩だった。

「ゆっくりでいいよ」
「焦らなくていいよ」
「失敗しても大丈夫だから」

安心感のある環境を用意して成長を待ってくれた先輩。「その先輩がいなければ今の自分はない」というほどお世話になった。

会社の飲み会帰りに先輩たちと

その後、4年間働いた後、飯野さんは結婚。夫の転勤に伴って、その会社を退職することとなる。

人は支えられ、生かされている

画像11
家族写真

飯野さんには、現在3人の息子さん(6年生の長男、4年生の次男、年長の三男)がいる。

今から4年前の2018年、名古屋に住んでいた頃の話だ。宮崎に住む両親とは遠く離れ、夫の両親も近くにいない。見知らぬ土地で頼れる人がいなかった。元々インドア派であるが、一人で子どもを連れて外出することはとても心理的にハードルがあったという。

「2歳の長男を宮崎の両親に顔を見せに帰って、それから名古屋に帰ってきた時、すごい荷物だったんです。リュックを背負ってカートを引きながらお土産や荷物を持って・・・子どもの手を繋いで歩いていたんです。駅の中の下り階段の前で困っていたら、大学生くらいの女の子が手伝ってくれました。その後にも上り階段があったんですけど、その時も別の女の子が助けてくれて・・・人のありがたさを感じましたね」

ママ友や近所の人も子どもにお菓子をくれたり、優しく見守ってくれた。この10年の子育て期間時に、「人は支えられ、生かされている」という価値観が強まったとという。

子育て時代2
育児を始めて3年目の頃
子育て時代
三男が生まれた頃

チャレンジを支えてくれる土台のありがたみを実感

そうして三男も幼稚園の年中になり、具体的に社会復帰を考えるようになった、2021年のことである。

「インドア派だし、まだ子どもは小さいし、自宅でできる仕事はないかなって考えて動画制作、編集者になるためのスクールに入りました」

テレビよりもYouTubeと言われるくらいのインターネット動画ブーム。動画編集を学んでいくところで、1つ大きな気づきがあったという。それは・・・動画本体よりもサムネイル制作の楽しさだった。

画像10
画像11
飯野さんがデザインしたサムネイル画像

2022年8月のある日。

通っていたスクールの先生から、「クラウドファンディングの代行業務をしているチームがサムネイルのデザイナーの募集をしている」と教えてもらったという。

「チームでクラウドファンディングにチャレンジする人を応援しているの?!面白そう!って思いました。約10年の専業主婦生活から飛び込むには勇気もいりましたけど、研修中にも思いやりに満ちた人の多さを実感しました」

特に飯野さんが「このお2人が優しく迎え入れてくれた」と話していたのは、代表の小西さんの秘書を務める田邉さんと、アートディレクターのよらさんだった。

https://note.com/embed/notes/nc3b6e4d28660
https://note.com/embed/notes/n06a9cebea8a8

「田邉さんからはスバキリ一味の説明を丁寧にしていただいて、私の事情も聞いてくれました。よらさんは私がデザインしたサムネイルの良いところを認めてくれるんです。気持ちも含めて(笑)。じっくり聞いてもらえた上で的確にわかりやすくデザインのアドバイスもいただけるのはすごいなと。研修の時点で”スバキリでやっていこう!”と決意できました

チャレンジを支えてくれる土台・環境のありがたみを知る飯野さん。クラウドファンディングにチャレンジする人を応援するデザイナーとして、じっくりと要望に向き合いながらサムネイルをデザインし、「ご縁・応援の循環」を作り出していく。

執筆:水樹ハル