私が目指すのは、誰もが生きやすくなる『居場所』をつくること

メンバー紹介

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我がスバキリ一味チームの連携の場、ディスコード。
そこで飛び交う素早い反応。
自分が抱えているプロジェクト以外でも、気がついたところはコメントサポート。
不慣れなメンバーをサポートし、自分の気づき限定noteにまとめ上げて一味メンバーにシェアする。

どうして、この人はこれほどまでに対応が早く、しかも配慮が行き届いているのだろう??

“のましほ”さん、ってどんな人?

いつもそう思っていた。

そして、合点がいった。

 

仕事が楽しい!!

「20代の頃は、もう仕事が楽しくて楽しくて仕方がなかったですね」

野間志保さんは元気よく語ってくれた、……と書きつつ、ここからはあえて少し親しみを込めていつものディスコード表記名「のましほ」さん、と書かせていただこう。

のましほさんは、18歳から38歳まで、京都にある某洋菓子メーカーで会社員として勤めていた。最初はアルバイトからだったが、そこでの働きが認められて正社員となり、20代で営業職に就く。

うら若き20代の女性でありながら、のましほさんは、営業担当として日本全国を渡り歩きまくった。営業の仕事が楽しくて常に全力。そして、遊びも。財布の中がゼロになるまで時間のある限り全力で遊んだ。何事においても全力だった。

「家には全然帰っていませんでしたね。住まいはもっぱら各地のホテルかウィークリーマンション。会社のお金で全国回れて、仕事も楽しくて、なんて贅沢なんだろうと思っていました」

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のましほさんの仕事観には、自分の仕事だけをすればいい、という発想なんて一切なかった。自分にできることがあればなんでもやった。それで周りが助かって仕事が捗っていくのなら、なおさらその気持ちにも力が入る。自分が存在している以上、周りの人に役に立っていきたい。それが自分の成長と学びにもなる。その体感ができるのが、仕事の場。

だから、仕事が楽しい。

そこが自分の「居場所」だ、と感じていた。

「もう営業部長まで行ったろかな、って思っていましたよ(笑)」

その会社でそのまま仕事していたら、きっとそうなっていたに違いない。

 

仕事と家庭とのはざまで…

仕事に遊びにと没頭していたのましほさん、やがて結婚、出産というライフイベントを迎える。

仕事と家庭は両立させていくつもりだった。できると思っていた。仕事も家庭も大事なのは重々わかっている。だから、時短勤務、さらには正社員からパートに切り替えるなど仕事の時間を減らし、自分なりに家庭に向ける時間をつくっていった。しかし、それでも自分の思いと周囲の環境との間に大きなギャップが生まれていく。

母親なら、優先すべきは子供のことと家庭でしょ。

そんな周りの雰囲気が、思いもよらない重圧となっていく。

「子供って、周りの大人みんなが協力し合って育ていくものじゃないの?」

そんな思いは募るが、現実のギャップは埋まることはなかった。

家庭と仕事、2年間の葛藤を経て、ついにあれほど夢中になれた仕事を手放した。

喪失感が一気に襲う。

だからといって家庭のことをおろそかにすることはなかった。そうと決めた以上、精一杯自分の力を注いでいった。頭の中には、これから先、かつての仕事のように何か夢中になれるものを見つけ出すストーリーを描きながら。

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ふたたび外へ

「書道を習い始めたのは、とにかく家の外へ出るきっかけを少しでもつくるため」

育児だけに翻弄されずに、手があく時間は少しでも自分の引き出しを増やすことに活用したい。思い描いたストーリーに向けて行動を起こす。

書道は、子供のころに経験した唯一の習い事だった。子供の頃に習っていた感覚と、大人になってあらためて習ってみることでどんな感覚になるだろう? という思いもあって書道を選んだ。

それでも、「どうせ習うのであれば、京都で一番と思える先生へ」と、徹底して調べあげた。たどり着いたのが武田双鳳先生だった。

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書道といえば習い事のイメージだけど、のましほさんが思い描くものは「書道を仕事とすること」。かつて仕事をこなしまくっていた姿を彷彿させるかのように、のましほさんの「戦略的な意図」がなんとなく感じられる。

実際に、意図の通りの流れで事が進む。武田双鳳先生のアシスタントになるなど、書道教室で徐々に頭角を表していくことになる。

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「外に出ていく」活動の範囲を広げる行動は、その後も怠らない。Twitterやインスタグラム といったSNSやオンラインサロンへの加入など、全く経験のないものでも、自分ができる範囲のなかでやれることをどんどんやっていく。その行動から新しい人とのつながりが、少しずつだけど確実に増えていった。

そのうちのひとつが、スバキリ一味だ。

京都市内にあったオンラインサロンメンバーが経営するカレーショップの屋号を、のましほさんが筆文字でデザインしたことがあった。

そのお店を、同じオンラインサロンメンバーでもあり当時切り絵作家として活動していた小西光治さんが後日訪れ、いくつかボツになってお店に置いてあった筆文字デザインを切り絵にしたことからスバキリ一味の歴史が始まった。

筆文字デザインの言葉は「夢を叶える」。

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偶然のようで、まるで必然かのような出逢いと出来事だ。

 

今度は自分が「居場所」をつくる!

「将来は書道教室を開きたい」

これが、のましほさんの夢だ。

「自分の居場所が、『家庭だけ』と『仕事だけ』じゃなくっていっぱいあったら生きやすいんじゃないかな〜って思ってるんですよね」

書道だったら、年齢を問わない。子供から、ご老人まで年齢を問わず誰もが習える。性別世代の関係のない『居場所』がつくれる。

自分が開くのは、そんな『居場所』となる書道教室だ、とのましほさんは語る。

会社員時代は、仕事をしていく中に自分の居場所があった。
いま、スバキリ一味というやりがいのある居場所がある。

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誰もが自分の本領が発揮できる、そんな『居場所』をいつかは自分がつくる。

「書道の世界でキャリア6年なんて、まだまだひよっこんなんですよ。私より技量の高い人はそれこそいっぱいいる」

はっきりと自分の実力を理解しつつも、かといって、「私はひよっこです」という態度は取らない。自分は書道家なんだ、と先に立ち振る舞い、否が応でも自分をまず先にその立ち位置に持っていく。そうすることで意識を高めていく。「ひよっこです」なんて言い続けていたら、ずっとそのままだ。

まさに、のましほ流成長術。理にかなっている。思わず大きく首を縦に振ってしまう。

 

書道家 『蘭鳳』 として

2021年12月、所属するふたば書道会より、「蘭鳳(らんほう)」という雅号を授かる。ますます「ひよっこ」なんていっていられない。

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だから、2021年は、書道家としてのライブ・パフォーマンスを精力的に行った。

失敗しながらも突き進んでいく気持ちで、あえて人の前で立ち振る舞い、自らをも鼓舞する。

「それに、完璧じゃなくてもこんなんしてやっているんだ、と見せると他の人の勇気にもなるでしょ?」

と、さりげなく笑うのましほさん。自分自身を奮い立たせつつも、人への優しさや配慮の気持ちは忘れない。

これ、と思ったものは自分が納得いくまで調べる。
自らやってみる。
そこで感じたもの、学んだもの、気がついたもの。
それが、全て自分の財産だ。

のましほさんの姿から、そんなメッセージが伝わってくる。

そのうえで、さらにこれを超えてくるものがある。

それは、自分がストックしたその財産を、必要としている人たちに「惜しみなくシェアするところ」だ。

これで、どれだけの人が救われていくことか。

実際、我らがスバキリ一味メンバーも、のましほアドバイス、noteには随分助けられている。間違いなく組織には欠かせない存在。さぞ当時の会社は、のましほさんが離れていくことを残念に思ったであろう。

自分の居場所をつくる夢を果たすためにも、2022年は書道家「蘭鳳」としての活動を広げていくという、のましほさん。

「教室を開くなら、スキルも大切だけど、それ以上に私が『どんな人か』を見せないとね」

自分のありのままの姿を見せて、きっと多くの人を魅せていくことになるのだろう。

書道家 蘭鳳さんの書道教室は、なんとも情の懐が深い『居場所』になりそうだ。

「そんな書道教室に通ってみたい人!」
「はいww!!」

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記事:白銀肇

 

おまけ。

ちなみに新聞記事は、京都新聞という地方紙の夕刊ですが、なんとトップ面!!
(ヒ素混入のほうじゃないですよ!)

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そして、写真の構図はこういうことらしいです。

のましほさん-2

「いまも昔もそういうやつですね、我ながらだけど(笑)」
こういったことをつつみ隠すことなく話してくださるところ、のましほさんの魅力です。